ディマシュ出演
※ ↓ English
トークショウ《非常静距离》2018年3月1日放映:中国
※〖非常静距离〗は2009年6月から北京で始まったトークショー。
司会の李静が毎回各業界で活躍する知名度が高い人物を招いて、その人物を深く知ろうという番組。(徹子の部屋的な)
安徽衛星テレビを経て2017年4月からは深圳(ShenZhen)衛星テレビで毎週木曜日23:30から40分間放送。
ONLINEではiQIYI、YOUKU、Tencentが放送。
李静は芸能界でも顔が広く、多くの人にとても親しまれている存在。
芸能人は、映画・ドラマ・アルバムなどがリリースされる時に、宣伝も兼ねて出演することも多い。
映画・ドラマの場合は、出演者が数名一緒にでることもしばしば。
※実際の動画 ↓ 約37分
以下書き起こし(長文)
Dimashの紹介
李静:今日のゲストは言語的にちょっと苦労するけど、音楽はそんなものを越えるのよね。音楽は国境なんてないのよね。
彼のファンは、彼に話してほしいわけじゃなくて、自分たちの為に歌って欲しいのよね? でしょ?
Dears:そう!
李静:じゃぁ、皆で彼の名前を呼びましょう!
D:♪♫♬【The Crown】
3:58
李静:中国のファンに向かって「愛してるよ」って言ってあげて。
D:愛してるよ!
李静:誰かカザフ語で「愛してる」っていうのを習いたい子いるかな?カメラマンに選んでもらいましょうね。
D:мен сені жақсы көремін
李静:すごく難しいわね。ゆっくりね。
ファン1:мен сені жақсы көремін
D:頭のいい子だね。(中国語)
(中国の新年のお祝いの期間中なので、Dimashに新年のプレゼント:赤い靴下:
Dimashがこの年24歳の“年男”ということで、赤いものを身に着けるという中国の習慣からこれが選ばれた)
D:僕達にも“年男”の言い方はあるんですよ。
24年前に僕はこの世界にやってきました。
李静:彼は男らしい子だから、ピンク色は嫌いだろうけど、赤も気にする?
D:一般的に男としては、ピンク系は(笑)あまり好きではないですけど、赤は大丈夫です。
李静:今履いてみるのはどうかしら?
(履こうとしてくれるが、冗談だと言われる)
<番組からの“お年玉”を配る>
李静:初めて中国に来て〖歌手〗に参加したんだけど、あの時はどうしてあの番組に参加しようと思ったの?
D:これは僕のたくさんある忘れられない瞬間の一つです。
あの頃は誰も僕のことを知らなくて、好きなように街を歩けていましたね。
あの時はまだ痩せていましたし。
<長沙の街中で撮った写真が登場>
李静:これはどこ?
D:長沙です。番組収録のチームが僕をこの番組に参加させてくれた時、スタジオ入りの前に長沙の街がどんな感じか自分で歩いてみたんです。
李静:今もう一回あの町であのポーズを取ってみる勇気ある?
D:やりましょうか?
李静:今のDimashはもうたくさんのファンがいるよね、あの時とは違うからね。この番組の前には中国に来たことあったの?
D:ありません。以前は知らない国とか別の国に行っても、1週間も滞在することはありませんでした。おもしろいのは、あの番組では約4か月も滞在することになりました。
あの時は家に帰りたかったですが、ここでこんなに多くのファンを見たら家に帰りたいという気持ちは忘れてしまいましたね。
正直に言うと、他の歌手の方を羨ましいとは思いません。
彼らがみんな僕のこんなファンみたいなファンを持っているとは限らないですからね。
李静:あの時は中国ってどんな国かとか想像したことある?
D:勿論知っていましたよ。中国は五千年の悠久の歴史を持っている国で、とても栄えた大きな国だということ。それに中国の京劇も知っていますよ。
それに世界でも著名な俳優のジャッキーチェンさんもね。
皆さんに秘密を教えましょう。
僕の祖父、父、それに僕自身みんなジャッキーチェンのファンなんですよ。三世代みんなジャッキーチェンのファンです。
李静:それって君達みんなカンフーがやりたいってこと?カンフーできる?
D:カンフーはできませんが、3年間テコンドーを習っていました。
李静:寂しいって感じる?私達は君の言語ができないじゃない?英語もできないし。
中国にいて孤独じゃない?
D:言葉の問題はありますね。
今は英語をやっています。僕の周りのマネージャーとかはみんな僕とは英語で話をしますし。
でも、中国語はホントに難しいですよ。僕はいろんな国の言語で歌を歌いますけど、だからと言っていろんな国の言語に精通しているとは言えないんですよね。
僕の弟と妹は言語に関してはよく知っていますよ。妹は中国語ができるんです。
李静:彼の言語能力は優れてるよね。いろんな国の言語で歌ってるし。
じゃぁ、それぞれの国の言語で一言ずつ話してもらいましょうよ。
D:フランス語♪、ドイツ語♬…歌詞忘れちゃった、大学の頃に歌った…セルビア語♫、ウクライナ語♭、ロシア語♯、キルギス語♩、スペイン語🎵歌詞忘れちゃった、イタリア語♪
李静:上手すぎて嫉妬しちゃうわよね。
〖歌手〗の後、中国でツアーを始めたよね。何ヶ所回ったの?
Dears:2ヶ所!
李静:あと何ヶ所回るの?中国のツアーはいつもどんな感じなの?
D:これからまだまだあります。今やっているコンサートは満席です。どれも満席です。これもみなさんの応援のお陰でこんなに盛況となっています。
どんな歌手もみんなこんなに多くのファンがいて、有名になって成功したいと願っています。皆さんのおかげで今の僕があるんです。
僕自身は時間の概念は厳しい人間です。全ての計画が順調に進むことを願っています。
でも、ファンの子達をみると、もっとファンと寄り添いたいと思っちゃうんですよね。
僕のやることがファンの子達を満足させられればいいなと思っています。
ファンを喜ばせたいんです。
李静:じゃぁ、コンサートの様子を体験してみましょうよ。
<コンサートのビデオ>
李静:ステージで歌って踊るっていう気分はどうなの?
D:ステージにいるあの時は、自分にマイケルジャクソンが乗り移った気分だったです。
李静:いろんな楽器を演奏していたけど、それって小さい頃から練習していたものなの?
D:いろんな楽器ができるって言うけど、そんなにうまくはないんですよね。
プロじゃないんで。
李静:ドンブラは君たちの国ではみんな小さい頃から弾けるの?それともみんながみんな弾けるわけじゃないのかしら?
D:カザフスタン人がみんなドンブラを弾けるとは言えませんけど、僕の周りにいる年長者や友人はみんなドンブラを弾けますよ。
李静:ステージの上でドンブラを弾くのはみんなにドンブラの文化を理解させることになるよね。
ドンブラってすごく良い音色の楽器だよね。
私も学生時代には楽器を練習していたことがあるからわかるんだけど、ドンブラはとてもメロディアスな感じがするのよ。でも、弾く人の個性が出る楽器でもあるわよね。
今ここにドンブラがあるんだけど。持ってきてちょうだい。
D:僕はあんまり上手くないんですけど…。カザフスタンにはたくさん優秀なドンブラ奏者がいます。
その人たちがここにいたら、元々あるドンブラの味わいを出してくれると思うんですけど、僕もできるだけのことをやりますね。
李静:弾き語りとかやってもらえる?
D:♪♫♬
李静:彼が歌い出すとすぐに彼のことを愛しちゃうわよね。“天性の声”よね。
D:ありがとうございます。
李静:弾き語りとかされたらすぐに(彼の所に)お嫁に行きたくなるものよね。
D:その手は使わせてもらいますよ(Smile)
李静:カザフスタンにはこういう子はいっぱいいるかもしれないけど、中国じゃ使えるわよ。
D:中国にも才能がある人はいっぱいいると思いますよ。この間まで参加していた〖歌手〗でも、多彩な方々が溢れていましたし、テクニックをもった先輩方がいらっしゃったので、中国でもこの手はあまり使えないんじゃないかと思いますけど。
李静:(会場の子に)これ、あなたの?弾けるの?あなた、彼が好きでドンブラを始めたの?そうなのね。
じゃ、ここに座ってちょっと弾いてみる?
<ファンの子がドンブラを披露>
李静:彼が好きでドンブラを始めたの?
ファン2:〖歌手〗EP7で彼が【Daididau】と【Adai】を弾いたのを聴いて、この曲が気に入って、弾いてみたいと思いました。
D:僕が中国の楽器を渡されても、3か月で君みたいに演奏できるようにはならないな。
ありがとうね。これは僕がやってきた努力への一番の証明と見返りだよ。
<ビデオ>
ファンが彼に寄り添っている以外に、カザフスタン共和国の伝統的な家庭で生まれたDimashにしてみれば、家族は永遠に彼の一番大切な応援者なのだ。
D:これは僕のお父さん。これが僕。これがお母さん。祖父母に対して僕は“パパ”、“ママ”って呼んでいるんです。
これが“ママ”、実際はおばあちゃんなんですけど。
僕達には伝統があって、“子を還す”と言って、家の最初の子を両親に渡すんです。
僕はその風習に沿っている世代なので。
これが僕の“父”(おじいさん)です。
これは僕の“お姉さん”(おばさん)。これは僕。
李静:最初の子供は祖父母に預けるんだね。
D:僕の理解でのこの風習の一番の意義は、嫁姑の関係にとっても役立っていること。
李静:なんでよ?
D:僕の“母”、おばあちゃんなんだけど、僕が生まれてからはずっと彼女が僕を育てて世話をしてくれたんだよ。僕に教育を受けさせてくれたんだ。
僕が生まれた時、おばあちゃんは47歳だったんです。
その頃はまだ彼女は働いていたんですけど、僕を育てるために、仕事を辞めて一生懸命世話をしてくれたんです。
おじいちゃんは以前、組織の上層部にいました。一家みんな先生だったんですよ。
李静:ご両親は有名な歌手なんでしょ?
D:両親は当時から僕の国では優れた貢献をした人達として名前が知れていました。
そういうわけで僕は音楽色がとても濃い家庭で育ったんです。
李静:小さい頃、両親達とは違うようになりたいとか思ったことはあるの?
ステージで歌うとかじゃなくて。反抗期とかあったんじゃないの?
D:言っても信じないかもしれないけど、小さい頃から一度も違う業種を選ぶってことを考えたこともなかったんですよ。
僕の小さい頃からの夢は歌手になる事だったんです。
MC:Dimashは5歳でステージで歌って、6歳でカザフスタンのピアノコンクールで優勝しているんだよね。で、16歳で国際音楽祭で優勝。
D:あの時は優勝はしていないんです。5歳の時は国際的なコンクールに参加しました。
その時は一位ではなかったんですよ。優秀賞だったんです。
あの当時の写真を見ると、前歯がなかったんですよね。
李静:ピアノを弾いているビデオがあるのでみんなで観ましょうね。
D:僕の傍にいる方は、僕の【Daididau】を編曲してくれた方なんですよ。
李静:君を持ち上げた人は誰なの?
D:覚えていません。
李静:小さい頃の写真を見せてもらってその頃の資料を見たんだけど。
この頃は合唱団にいたんだよね。彼は合唱団の女性のパート担当だったんだって。ソプラノだったって。
D:あそこにはたくさんかわいい娘がいたから…。
それは冗談で、あの時はまだ小さくて、ソプラノの歌を歌い始めた頃。合唱団には男の子はたくさんいたんです。あの頃僕は高い声が出せたから。
その後、成長してからは低音も出せるようになったんですけど、女の子の声を出せる子が少なくて、先生が僕を女の子のところに入れたんですよ。
先生は「男の子の声を出せるのはいっぱいいるから、君は女声部の方に行った方がいいよ」って。
その頃僕はまだ16歳にはなっていなかったかな。でも僕は女の子の中で一緒に女声で歌っていたんです。
李静:まだ声変わりしていなかった頃ってことね。
D:もう声変わりはしていましたよ。声変わりする前は女声部で歌っていましたけど、声変わりしても女声部の人数が少ない時は、手伝いで歌っていましたね。
李静:君はステージで華やかに光を放っているんだけど、これは生まれながらのステージに立つ人だからなんだろうね。
小さい頃、今のようにステージに立って歓声を浴びて、追いかけられる自分を想像してた?何歳頃から僕はステージに立つ人間になるって…みんなが自分の為にキャーキャーって言うようになるって思った?
D:小さい頃、他の子供たちと一緒に絵を描いたんです。
他の子達はみんな自分の家とか車とか描いていたんですけど、僕はいろんな楽器とかマイクとか、ステージで歓声を浴びながら歌う自分を描いていたんですよね。
李静:うわさで聞いたんだけど、小さい頃自分のアルバムをデザインしたってホントなの?
D:当時僕の父はCDをリリースする仕事をしていたんです。
カザフスタン共和国ではたくさんの有名な歌手がいて、父は彼らのCDを出していたんですよ。
僕が4歳か5歳の頃にアルバムのジャケットの上に僕の絵を描いてからCDを挟み込んで、ケースの後ろに1曲目は何、2曲目は何って書いて、お父さんに「ほら、僕の新しいアルバムができたよ」って言ったんです。
李静:有名になる前は笑い話になるけど、「小さい頃の話だから」ってね。
でも最終的にステージに立つような人達はみんなすごく自信を持ち続けることが必要なのよね。だから彼の今の成果は全部彼が自信を持ち続けたからだと思うの。
それで夢がかなったんだと思わない?
みんなは君の歌声から君のことを理解するんだけど、自分の性格、どんな人間かを一言でいうとしたら、どんな言葉を選ぶ?
D:学生の頃は、基本的に落ち着いた子だったんですけど、時にはいたずらもしましたね。
李静:自分の長所は何だと思う?
D:僕の一番の良い所は自分で言うべきじゃないです。これはみなさんが評価することです。もし(誇張して)自慢・自分を褒めるなら、それは友達の前ですよ。
MC:僕達も友達だよ!
D:そうなんですけど、一人だけかもう一人だけにね(自慢するのは)
李静:男の間だけのね。
でも、今一人、おばあさまの話が出たけど、君がピアノとか歌とかを習うのに、彼女は仕事を辞めて君の為に大部分の時間を費やしてくれたんだよね。その話をしてくれる?
D:僕のおばあちゃんへの愛はどんなに優れた文学者でも表現できないくらいのものなんです。僕はおばあちゃんをとても愛しているんです。
おばあちゃんも僕を愛してくれています。
今年の1月28日(2018年)祖父母の結婚50周年のお祝いがあったんです。“金婚式”です。おじいちゃんとおばあちゃんはいつも僕に"年長者を尊敬しなさい"と教えます。
僕はそういう環境で育ちました。
以前は毎日言われていました。
今は毎週。こんな風に僕を指導してくれるんです。
李静:彼らを怒らせたこととかあるの? 小さい頃まだよくわからなくて。
D:たくさんありますよ。
李静:"ない"って言うと思ってたわよ。
D:ありますよ。隠したりしませんよ。うちの家族はみんな教師なので"先生が言う事は全部やらないといけない"と思っていました。
ある時、体育の授業で先生から白いTシャツを着るように言われたんですけど、うちにある白いTシャツは汚れていて、ママは黄色いのを着せようとしたんです。
それで、体育の先生の言う事を聞くべきか、うちにいる先生の言うことを聞くべきか分からなくなっちゃったんです。
ママの言う事を聞いたら学校の先生の言う事を聞かないことになるし、学校の先生の言う事を聞いたら、うちにいる先生の言う事を聞かないことになるって。
こんな感じで、両親の無限の愛の中で育ったんですよ。
李静:君と同じくらいの若い子は自分のことばっかり言う、自分がどうしたい、こうしたいとか言うんだけど、君が感謝の話をたくさんするのにすごく感動したわ。親孝行とかね。そっちの国でも親孝行っていうのかしら。
老人への孝行、親孝行は君にとって大事なんだね。
D:どの国にも違った文化や風習はあるけれど、共通のことがあるのは、尊老愛幼(老人を尊敬し、子供を愛す)ということですよね。
李静:今の言葉は同感だわ。
世界各国、いろんなことが違うけれど、目上の人への孝行は共通なのよね。
みんな彼が好きになるよね。彼の価値観があなたたちに伝わると思うわ。
こういうスターは“追っかけ”る価値があると思うわよ。
もしガールフレンドができたら、外見よりも孝行心の方が君にとっては大事なんじゃないの?勿論、キレイな上に孝行心があるのが最高だけど。
D:僕のパートナーは、僕よりも僕の両親を愛してくれる人。僕の母は、僕のおばあちゃんの前で失礼なことは絶対にやらない。
もし僕たちが自分の両親を尊敬するように年長者を尊敬するなら、将来自分の下の子達も僕たちを尊敬してくれるでしょう。
李静:そんなガールフレンドがいたら、君も彼女の両親に良くするの?彼女の責任も背負う?
D:勿論ですよ。絶対です。僕も彼女の両親をとても愛しますよ。一緒になるんだから、君の両親とか僕の両親とかの区別はありませんよ。
李静:聞いた? 今の若い子達は公衆の面前で両親の話とか、孝行の話とかするのはカッコよくないっていう感じだけど、みんな結構自分の話ばかりしたがるんだけど、そうじゃないよね。
彼なんか、カッコイイし、歌も上手いし、価値観に関してもいっぱい話せる。すごく輝いてるわよね。
中国で今頑張っているけど、おばあさまはご心配されているんじゃない?
どうやって説得してるの?
D:祖父母はいまだに心配していますよ。中国に来て一年になるんですけど、今でもちょくちょく近況を心配しています。
でも今はネットも発展したから、若い人も歳を取った人もみんな使ってるから、僕のおじいちゃんとおばあちゃんもアプリを使って(Instagram)見ていますよ。
僕と(ファンの)みんなが一緒にいる時を見て喜んでいますよ。
彼らは僕に君達みたいなファンがいることに満足しているんだよ。
もうあまり心配しないことにしたって言っていたよ。
彼らも君たちを愛してるよ。
李静:今後ももっと中国で過ごすのかしら?
D:今後はもっと発展したいと思っています。僕がどこの国にいても、どこにいても僕の目の前にいるファンはいつも僕の傍にいてくれるから。
李静:歌手とファンの間で一種の尊敬と気遣いがあるのは素晴らしいわね。ある人は、そういうのは社交辞令だよって言うけど、そうじゃないと思うのよね。
歌手にとって君達は彼らのソウルメイトなのよね。君達は彼の音楽が好きで、彼の音楽が君達に美しいものを与えてくれるのよね。
それに、Dimashは“一帯一路”の文化大使だものね。
君達の街では(カザフスタンへの)旅行ラインが開かれたかしら?
Dears:は~い!
李静:これが文化大使の役割よね。
これこそがDimashがカザフスタンの国宝級と言われる由縁なの。ありがとう。
(李静が最後の番組あいさつの時、Dimashがずっと動かないのを見て「彫刻みたいにしてる」と言ったので、会場が笑った)
《非常静距离》20180301 迪玛希秀天籁之音弹唱 少年时在合唱团任女高音
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