2019年12月10日、ディマシュはアメリカNYでソロコンサートを行いました。
そのバックステージの様子がディマシュのYouTubeチャンネルでアップされました。
そこには、大勢の人たちが「ディマシュを舞台で輝かせるために」懸命に働く姿が映し出されていました。
舞台に立つ人。
それを裏から支える人。
そして、観客。
一つのコンサートの成功には、それらのすべての人々のパワーが結集されています。
ディマシュのアメリカでの初のソロコンサートは大成功でした。
この大成功は、ディマシュの力量もさることながら、ディマシュを支えた、これら大勢の人々の存在を抜きにしては語れないでしょう。
そして、その大成功の陰に、現地で必死にコンサートの成功をサポートした縁の下の力持ち、地元NYのDears達の存在があります。
そのNY Dearsたちの一人に、公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブ(DJFC)会員のNさんがいます。
今回は、Nさんに当時の事を振り返ってもらいました。
以下Nさん寄稿
"ANOTHER BACKSTAGE"
『私はNY在住のDearsです。
2019年9月、私達は10月に予定されているIgor KrutoyのバースディコンサートでのDimash初のNYパフォーマンスそして12月のUSソロコンサートに向けての準備(プレパーティなど)を開始しました。
そんな最中、あるきっかけでコンサートのプロモーターと連絡を取る事となった私はDimashのNY ソロコンサートのPRのお手伝いをする事になりました。
(今回はDimashにとってのアメリカでの初ソロコンサートでしたが、カザフスタンの独立記念日の一環としてカザフスタン政府の主催で行われるコンサートだった為、プライベートのコンサートとしてのPRは行われる予定はなかったのです。そのためNYのローカルDearsのヘルプをプロモーター側は求めていました。)
という事で早速私たちNY地元のQueens Dearsの3人でチームを組み、先ずはソロコンサート前の10月に行われるIgor KrutoyのBirthday Concertにやって来るDearsを当てにしてのフラッシュモブを計画。
(何せその当時、世界各地で行われるIgor Krutoyのバースデイコンサートが追加で次々と決まって発表されて行く中、DimashのNYコンサートの日程がなかなか決まらず、多数のDearsが10月のNYを取りやめを決意したりと、果たして何人集まるかわからないままフラッシュモブの告知をしたのでした。)
当初は100人のDearsを集めることを目標にプロモーターからArnau NYのTシャツを作ってもらいましたが、当日、最終的には用意した150枚のTシャツの枚数を超えるDearsがバークレイセンター前にフラッシュモブのために集まりました。
「Igorのコンサートが始まる前、150人のDearsにBarclays Center前に集まってもらい皆でScreamingを大合唱する」、と、ここまでが計画の内だったのが、皆の音頭でその後も合唱は続き、最後はIgorへのバースディソングで締める事となりました。
そしてその後、Igorのコンサートで私は初めてDimashの生パフォーマンスを見て心ふるわせ感動の涙を流したわけです。
プロモーターに作って貰ったフライヤー1000枚を、フラッシュモブの参加者の助けを得てIgorのコンサートへ来た人へコンサート後に配り、それが、続くNY Solo PRのキックオフとなりました。
私達はローカルのNY Dearsに声を掛けNY Solo Concert PR Teamを作りました。
そして、それぞれが自分の空いてる時間に、ある時は一人で、またある時はグループで、NYの寒空の下、日夜ダウンタウンのカフェやショップなどフライヤーを置いてくれる所・ポスターを貼らせてくれる所を探して歩き回り、「ここは」と思った所へは体当たりで依頼しまくりました。
一つの大きな成果としては、リンカーンセンター内にあるNYパフォーミングアーツ図書館(このリンカーンセンターの界隈はパフォーミングアートの有名な学校やシアターが密集している)にあるボーカルパフフォーミングアートセクションにフライヤーを置いて貰えた事があげられます。
フライヤーの追加を持って行くときのドキドキといったらありませんでしたが、毎回フライヤーの減りを見るのが楽しみでした。
ローカルのPRを始めてみて気が付いたのは、いかにDimashのNYソロコンサートが知られていなかったか。。。
まだまだアメリカでDimashが知られてないという認識はあったため、こちらの普通のNY市民は知らなくて当たり前なれど、ロシアンコミュニティ、チャイニーズコミュニティはたまたカザフコミュニティでもDimashがNYに来る事さえ知らなくて、フライヤーを渡す時に教えてくれてありがとうという言葉を何度も聞いたということ。。。
私達のローカルPRも捨てたもんじゃないねと喜びはひとしおでした。
最終的にフライヤーの数は中国語のフライヤー1000枚を含めて4000枚、Dimashが再びJFK空港に足を踏み入れたその日までに殆どを配りきりました。
JFK空港でのお迎えの日は、Dimash USA主導のお迎えチームとして参加、10月の初JFK(イゴールの誕生日コンサートのための訪米)での混乱を教訓にオーガナイズ(準備)しました。
NY DearのひとりがNY Port Authority policeへの応援を頼み、私の息子もお花とプレゼントヘルパーとして借り出し、もうJFKで待機していたDimashのボディガードと打ち合わせをして体制はバッチリ。。。
なんだかんだとあの狭いJFKの到着エリアで熱狂の渦に巻き込まれながらも無事Dimashを迎え入れることが出来ました。
きっとJFKでは今までになかったであろう大スターのお出迎えだったと思います。
因みに帰りのお見送りの日は、空港警備員の規制のため全くオーガナイズすることが出来ず、私達Dearsの「このままでは大変な混乱になるぞ」という警告(脅し?)は無視され、案の定(笑) 結果、恥ずかしいくらいの大混乱 ↓ で見送ることに。。。
ディマシュが去ってから、警備員のひとりが私に「あなたがたが言ってたことが良くわかったわ」と話しかけてきて、次回はちゃんと協力すると約束してくれました。(笑)
口だけだったら困るので一緒に写真まで撮った私でした。(笑)
実はこの日、別のセレブリティが搭乗予定の為に警備員が増員されていて、その彼(Dimashとは別のセレブ)は、「自分の為にこんなに集まってくれてる」と勘違いしたとか。。。
その彼もインスタグラムでその時の様子を伝えてました(笑)。
さてさて、皆さん知っての通りDimash長年の夢であったアメリカで初めてのNYソロコンサートArnauは大成功でした。
コンサートが決まった当初、NYで殆ど無名のDimashが本当にあのバークレーセンターの客席を埋めることが出来るかと私たちは大いに心配しました。
そんな私たちの心配をよそに、会場は観客で埋めつくされ、なんと観客の殆どは地元の人だったと聞きました。
私たちがどれほどの助けになったかは全く予想もつきませんが、やり遂げた満足感は計り知れません。
コンサートではオープニングからエンディングまでDimashと観客との一体感は半端なく、Dimashはとにかく始終嬉しさを爆発させていて彼の悦びと期待に溢れ出るNYコンサートへの想い、そして全力投球のパフォーマンスはDimashに取っても私達Dearsに取ってももう一つのUnforggetable Concertになりました。
すべてが終わるまで、私たちNY Dearsは全力で駆け抜けました。
それはとても大変な日々でしたが、後々に何度も何度も私たちの心の中で思い出されるだろう素晴らしいコンサートに少しでも関わることが出来た私たちにとって、この経験は、最高の思い出となりました。
また、この期間中NYのカザフ領事館へ何度か足を運び、色々と情報交換など交流を深めました。
後日領事から招待され、さらに「これからも文化交流を続けて行きましょう」と、ありがたいお言葉をいただきました。』
寄稿ここまで
NY Dearsのみなさん、Dimashのサポート本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。同じDearsとして心からお礼を申し上げます。
そしてDJFC会員のNさん、お疲れさまでした。
我が公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブも、いつかディマシュのソロコンサートを日本で迎え、日本でこのようなサポートができる日を心から待っています。
↓ブログ内英訳記事
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
↓ ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part1
Dimash Kudaibergen - ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part1
↓ ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part2
Dimash Kudaibergen - ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part 2
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