ディマシュの祖国カザフスタンの首都名は「ヌルスルタン」。
ヌルスルタンの都市としての歴史は比較的新しく、19世紀前半、オムスク(Dimashが歌うサマルタウに出てくる都市名)から移動して来たコサックによって構築されました。
歴史に翻弄されながら都市名も1824年「アクモリンスク」→1961年「ツェリノグラード」→1991年ソ連より独立後「アクモラ(聖地の意)」→1998年「アスタナ(首都の意。前年1997年にアルマトイより遷都)」と変わっていきました。
そして、27年あまり国家を牽引してきた初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ氏の名にちなみ、彼の辞任後2019年にヌルスルタンへ改名されました。
(我が国の首都東京の都市としての歴史はもう少し古く、16世紀後半、豊臣秀吉の政略的な命令により、徳川家康が関東に領地移封され家康の本拠地が江戸城になった事から始まりました。「東京」に改名されたのは1868年です。ただし、「東京」を「首都」と直接に定める法令は、意外にも現存していません。実は「東京」は、天皇により遷都の詔書が発せられていないまま本格的に首都の機能を担った、日本歴史上唯一の都市なのです。1950年(昭和25年)に首都建設法により初めて法的に「東京都」が首都であることを前提とした法律が定められました。)
お話をヌルスルタンに戻します。
初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ氏の誕生日、7月6日をカザフスタンでは祝日「首都の日」としています。
↓在日カザフスタン共和国大使館Instagramより
カザフスタンの首都ヌルスルタンは人口約105万人。(東京都約1400万人)
標高約350メートルの高原地帯に位置します。寒暖の差が激しく、特に冬の寒さが厳しく、マイナス50度を超す記録もあります。そのため、「世界の中で最も冬の寒さが厳しい首都のひとつ」と言われています。
1997年、アルマトイより遷都し、1998年から新都市計画に基づいて近未来的な建築ラッシュがいまも続いています。
在日カザフスタン共和国大使館のInstagramでは、 首都ヌルスルタン市の、その新都市設計を手掛けた建築家黒川紀章氏のご子息が大使館を訪れたことも記事になっています。
黒川氏の考えたヌルスルタンの都市計画は、アクモラ時代の歴史的部分を保存しながらも、新しい都市部分をアクモラの南側に追加して作るというものです。
ヌルスルタンに流れているイシム川の両側に住宅地を作ります。これは、川(自然)と共存するコンセプトを表します。
ヌルスルタンでは、冬に強風が吹くため、防風のための人口森林も作られます。
アクモラに以前からあった鉄道は、南へ延ばされ、現在の中心部へ繋がりました。
大統領官邸大統領府、国会議事堂などの政府の建物はその鉄道と交差する形で建てられました。
道路は、既存の放射状の物に加え、利便性を考えいくつかの環状線が追加されました。
都心部と住宅部はそれぞれが【生長していくものだ】という考えに基づいて設計されています。
公園は、主に河川を中心として、人と自然が共存・共生できるように整備されています。
そして、すべての設計の源(みなもと)には、氏の基本理念「100年単位で見つめる、生態系としての自然と人間との共生」と言う考えがあります。
黒川紀章氏の新都市アスタナ(現・ヌルスルタン)計画は1998年から始まり、完成予定は2030年。
黒川氏はまた、2005年にカザフスタンのアスタナ新国際空港(現・ヌルスルタン・ナザルバエフ国際空港)の大規模改築も手掛けておられます。
黒川氏は、カザフスタン建築家協会名誉会員でもあります。
氏は残念ながら2030年の完成を待つことなく2007年にお亡くなりになりましたが、氏の建築理念を引き継いだ新都市計画に則り、ヌルスルタンは今も完成に向けて発展を続けています。
ディマシュの祖国の発展の一端に我が同胞が関係している事は、とても嬉しく誇りに思えますね。
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