・本記事は、今年2020年12月26日に放送された、ロシアラジオのプログラム "On the bend of time(時の流れに乗って)”のDimash電話インタビューの日本語書き起こしです。
・この電話インタビューは、12月初旬にモスクワで収録されました。
・この放送の音源(約33分)は日本語書き起こしの末尾にあります。
★以下 日本語書き起こし(長文)
"On the bend of time”
MC:Anna Dementieva
0:29
👩:既に名が知れていて世界的にも有名なカザフスタンの若き歌手、Dimash Qudaibergenです。
こんにちは、Dimash。
D:こんにちは。
👩:あなたと話が出来てうれしいです。
あなたは最近、多くの人達から"インタビューしたい"と思われていて、殺人的なスケジュールだということが分かっていましたので。
今、あなたはあらゆるテレビ番組に登場していますよね。
今日のトークは曲を聴くだけでなく、あなた自身の事も話してもらえると嬉しいです。
最近"カザフスタンの栄誉アーティスト"になったそうですが、これはとても栄誉ある称号ですよね。
ではこの話題から始めましょう。
これはどういういきさつだったのでしょう?
カザフスタンはあなたにとってどのようなものなのでしょうか?
ポップミュージックの領域でどんな選択があったのでしょう?
D:僕が25歳の時に頂きました。
👩:25歳?Dimash、こちらのアーティストがそのような称号を与えられるのは、大体30代を過ぎてからなんですが、あなたが“カザフスタン栄誉アーティスト”の称号を受けたのが25歳だなんて、すごいですよ。
ご両親もこの称号をお持ちだったと思いますが。彼らは音楽や文化などと関係していますが…ということは、あなたは彼らと同等になったんですね。
では、あなたの音楽への愛はいつから始まったのかを教えてくれますか?
勿論すべてはご家族から始まっているのでしょうが。
お父様は文化部を率いていらっしゃって、お母様はフィルハーモニーに所属されているソプラノ歌手でいらっしゃるんでしたよね?
D:僕の父は文化部の部長でした。約3~4年前までのことです。
彼はやはりアーティストなので、それを辞職して、僕のアーティスト活動をサポートすることに専念したいと考えてくれたのです。
というのも、僕は当時約3年間中国にいて、その頃ツアーも始めたので。
それで父は僕の傍に来てくれましたし、両親ともソロコンサートには来てくれましたよ。そんな感じでした。
そしてカザフスタンに関してですが、"カザフスタンは僕の祖国であり、僕の愛する国だ"と言いたいんです。
カザフスタンはいつも僕の心にあります。
祖国カザフスタンの愛国者として、僕は祖国を誇りに思っています。
カザフの音楽を愛していますし、カザフの全てを愛しています。
勿論、僕は全ての人が平等であると思っていますし、それぞれの国の人々みんなを愛しています。
と言うのも、"全ての人間は神の下では平等だ"と思っているから。
人々の間にはなんの違いもありません。
👩:【I am Kazakh(私はカザフ人)】という曲を歌って有名になったんですよね?
それであなたの国民は更にあなたを好きになったと言う…。
あなたの歌うどの曲にも自国のテイストを入れているのが好きですよ。
中国語がよく分かるから中国語でも歌っているし。
D:残念なことに、僕は中国語はマスターできていないんです。
でも、僕の主なファンは中国にいるので中国語で歌います。
あそこは巨大な市場がありますから、"そこのファンが聞きたいもの"をやる必要があります。若手の歌手として、それを理解してみんなを楽しませようと思っていますので。
やっぱり人間ですから、"みんなに好かれたい"と思うものですよね。
ちょっと謙虚さが足りないですね(笑)
僕は自分の行動をコントロールするように心がけています。
というのも「若い世代の人達が僕達のことを見ている」ということを自覚しておかなければならない、と思っているからです。
それに、僕たちのようなアーティストになりたいと思っている子供達もいる、ということ。
だから僕は自分の行動をコントロールしているんです。
「人間は自然体でいるべきだ」と言われることも多々あります。
それはわかりますが、これについて少し話したいと思います。
「ほら、私生活でもこんな感じで、ステージと同じだよ」って言うアーティストもたくさんいます。
そう思う事もありますが、一方では、僕達はちょっとふざけたりすることもあると思うんです。
でも、自分たち流の冗談が他の人にも受け入れられるとは限りません。
👩:誤解される、という事ですね。
D:そうです。
だから僕達は"自分を少しキチンとした型にはめておく必要もある"と思うんです。
👩:う~ん、こんなに若いあなたから、こんな話を聞くなんてちょっと不思議な感じですね。
普通、こんな話はもっと経験を積んだ(歳を重ねた)人がするものなんですよね。
きっとどこか、何か、多分何かの記事とか発表されたものに感銘をうけたのでしょうか。
あなたの若い時からの音楽のステージでの栄光が、何か好意的ではない変化をもたらしたのでしょうか?だからこういう話を今するのでしょうか?
D:いえ、そういう事ではなくて、僕達は全ての人を喜ばせることはできないということはよく分かっています。
"僕達はお金ではないので、全ての人に好かれることはできません。"
ま、ちょっとした冗談ですが。(笑)
👩:良くある冗談ですね。(笑)
D:そうです。(笑)
他の人がこの話題をどう思うかはわかりませんが、これが僕の意見なんです。
👩:Dimash、あなたは小さい頃からパフォーマンスを始めて音楽学校で学びましたが、どうやって世界的なスターになっていったのか、話してもらえますか?
どうやってこんなに速く成功することができたのでしょう?
アメリカではあなたはその広い声域から、"6オクターブ・マン"と言われてますよね。
4オクターブを出せる歌手すらほんの少しなのに、あなたときたら6オクターブ。
あなたはベルカントテナー*1ですが、これは教えられてそうなったのですか?
生まれつきにそうだったのでしょうか?ボーカルスクールに行かなければならなかったのでしょうか?
D:音楽を学んで約22年になります。
5歳のとき、アクトベ市の子ども音楽スタジオに通い、そこを終えて、他の音楽学校にも行きました。
そこを卒業してからは、僕の地元のアクトべのフィルハーモニーの子供スタジオで声楽を学び始めました。
その後、アクトべの音大で声楽のクラスに入りました。
そこで4年間学んで、アスタナのカザフ国立芸術大学に入りました。そこでは“ポップ・ジャズボーカル”のクラスで4年間学びました。
そして作曲の専攻でマスターの学位を取りました。
今は、さらに勉強を続けています。
👩:論文を書くおつもりですか?
D:はい。
👩:どのような主題でしょう?
おそらく何か自国の文化的なものでしょうか?主題は何でしょう?
D:まだ決めてはいないのですが、そろそろ始めようと思っています。
でも、分析するのは、どんな場合でもボーカルにはその基礎、学術的な声楽の基礎が必要だということ。
それは「クラッシック音楽を知る」という事です。
音楽は年ごとに変わっていくけれど、「その基礎は変わらない」ということを知っておく必要があります。
だから僕達は現在の音楽を追うと同時に、クラッシック音楽にも回帰する必要があるのです。
👩:あなたが現代音楽にクラッシックの要素を完璧に取り入れていることはよく分かっていますよ。
それにポップミュージックにカザフ色を入れていることも。
先生はどなたでしょうか?あなたの才能をこんなに早く引き出したクラスの先生は?
D:僕のボーカルの先生はアクトべに住んでいらっしゃいます。
彼は母が大学の頃、母の先生でもありました。
彼の名前はMarat Aitimovさん。僕がとても感謝している方です。
👩:彼はいまでもあなたを教えますか?
それとも、もう先生は必要ないのでしょうか?
D:今はこんな状況だし、僕がいつも海外にいるので、あまりお会いしていないんです。
ここ数ヶ月は僕が首都に住んでいてどこにも行けなかったし、先生はアクトべにお住まいなので、ほとんどお会いできていません。
でも、中国にいた時はボーカルの先生について練習していました。
どのアーティストも自分の専門に関しては磨くべきだと思いますし。
そうすると声帯が調整できるんです。
人はそうやって自分の声の手入れをするべきなんです。
あの素晴らしいルチアーノ・パバロッティは70歳の時でもボーカルコーチについて練習していたんですから。
というのも、アーティスト、歌手は自分の声を正しく聴くのにはいつも問題があるものなので。
彼らはいつでも…あ、“僕達”です、僕達はいつでも「自分の歌唱は素晴らしい、全て順調」と思ってしまうものなんです。
でも現実は、客観的に見ると、それはヒドイものなんです。
👩:ご両親はいつもあなたのお仕事につき合っているんでしょうか?
もう既におひとりでやられていて、コンサートの時だけご招待しているのでしょうか?
D:勿論僕は自分でやっていますよ。
例えば、この数年は北京の僕のチームとツアーをやっていましたし。
でも両親は僕の大きなソロコンサートには参加しました。
ステージに立っている時に、家族と繋がっているという感覚は、すごく大きな応援になって大事な事なんです。
僕達は基本的に離れられないんです。
僕が中国にいたころは毎日電話で話していました。
両親がコンサート会場にいると、ステージに立っている時はとても神経を使うものなんです。
これは、責任が倍増するからですが、楽しいことでもあります。
👩:Dimash、満員のスタジアムでは、興奮した女の子達があなたの服を掴もうとしていますよね。
クレムリンホールであなたが会場に降りて歌っている時、彼女たちがあなたに触れられなくて正気を失っているのを見ましたよ。
あなたはその熱狂的な人気を落ち着いて見ていますか?それとも、もっと奮い立ちますか?
それはあなたを何かしら変えますか?
D:まぁ、ああいう時は冷静にはなれませんよね。彼らは歓喜をもたらしてくれますから。
他にもたくさん才能のある歌手、ボーカリストがいることを知っています。
でも、これは神様/アラーが望むこと。僕のキャリアが始まることを。
それに、「これは一時的なものだ」という事を、僕はよく分かっていますよ。
こんなふうに言っておきましょう。
そして、いつでもキャリアが落ち始めることも知っています。
僕の歌手人生が終わった時に、人々が僕のことを「名誉ある人間らしい人間だった」と覚えていてくれることが、僕にとっては大切なんです。
僕はもう自分がどんな混乱を引き起こしたか、どんな世界に入り込んでしまったかが理解できないような小さな子供ではないので。
僕にはリスナーがいて、彼らは僕を愛してくれていることを分かっています。
ですから、これは「歌手が通る道」なんです。
それを価値あるものとして、僕を応援してくれるリスナーや人々みんなに常に感謝をしながら、この道を歩いて行きたい、と思っています。
この世界にはたくさんの才能あるアーティストがいることはみんな知っています。
👩:ここでもう一度聴取者のみなさんに、今日のゲストが「世界のスター」と呼ばれているカザフスタンの有名な歌手、Dimash Qudaibergenさんだとお伝えしておきます。
👩:Dimash、あなたはここで、「歌手はいつでも運命が変わるということを肝に銘じておかなければならない」と言っていますが、それは、「(いつか)ステージが、クリエイティブな道のりの初期の頃のようには魅力的ではなくなるかもしれない。だから他のレベルのことも後には特に必要になってくる」ということですか?
D:う~ん、どうでしょう。
それについては…
👩:あなたが"博士号の論文を続けたい"ということでしたら、それは恐らくあなたが後に教鞭をとるとか、何かの変化とか…。
そういうことを今考えるにはまだ早いんじゃないでしょうか。あなたは人気上昇中のスターなのですから。
あなたにはスタジアムや大きなステージがあり、女性ファンもいる。
だからこんな若い人が、もうすでに「全てがいつまでもこういう風には続かない」と考えているなんて不思議なんです。
でもそれは賢明なことですね。おそらく、あなたの賢さは祖国やご家族からの影響なのでしょう。
私見なのですが、一人の人間が人生や音楽のキャリアについて深く見据えているのは、素晴らしいことだと思いますよ。
D:有難うございます。
👩:あなたがアスタナオペラで歌うことを断ったと言うのは驚きでした。
(大学卒業時)国家オペラ院に誘われ、あなたはその条件を全て持っていたのに、それを断ったのは何故ですか?
D:ええと、僕は「オペラ歌手になる勉強」は、しました。
それは、クラッシックのボーカルのABC、きちんとした教育を受けるのが必要だと思ったからです。
僕は"ネオクラッシック"というスタイルに、より興味を持ったので。
それはクラッシックとポップ、ロックの要素をミックスした感じのスタイル(ジャンル)です。
この方向でやっていきたいと思っています。それは…
👩:だからあなたは断った。
D:そうです。何年かしたらまた違う考えになっているかもしれませんけど…。
将来(オペラの)劇場でやっているかもしれないですし、ポップミュージックでやっているかもしれないし、それはまだ分からないです。
👩:ああ、ポップミュージック界にも興味があるんですね。
誰かアイドルはいますか?
どなたがあなたにとって親しみ深いお名前でしょう?
「歌うことに関して」言うと、どなたのレベルまで行きたいですか?
D:もちろんセリーヌ・ディオン、マイケル・ジャクソンに、最も有名な歌手のルチアーノ・パバロッティです。
👩:それはオペラですね。
D:アンドレア・ボッチェリを聴くのもすごく好きです。
Queen の作品も大好きです。
Eminemとかのラッパーも聴きますよ。
👩:ロシアではみんなあなたのことを知っていて愛していますよ。
ロシアではオペラは発達していて、素晴らしい声の持ち主もいます。
その中で好きな歌手はいますか?
D:もちろん。Dmitri Hvorostovskyです。
彼は人々から決して忘れ去られることのない、理想のアーティストです。
彼が魂を使って歌っているからだと思います。
彼の歌を聴くと歌手と言う職業がどういうものか本当によく分かります。
👩:もう少し古い世代の、KozlovskyとかLemeshevとかは聴きましたか?
D:大学でLemeshevの【Lensky’s Area】を歌いましたよ。
👩:Chaliapinは?
D:Chaliapin…彼は素晴らしいです。
👩:オペラへの興味はポップミュージックの後で湧いてくるんじゃないかと思いますよ。そしてオペラのステージもやってみるとか。
Dimash、中国への進出はどういう経緯だったのでしょう?
何故、今あなたの歌手としての道がそんなに中国と緊密なのでしょう?
D:以前(中国での)国際的なコンテストに参加したからです。
それで自然にそうなっていったんです。
中国の人達が見つけてくれて、僕を招待してくれたから。
〖歌手〗というコンテストに参加してから僕の運命が変わったんです。
すべてがあっという間でした。
最初の回の放送の翌日から、中国の人々が僕のことを認識しだしたんです。
それからはアジアで有名なMTV賞やアメリカの音楽賞でも名が知れていったんです。
全てが予想外に"あっという間"に起こりました。
そういうことへの準備ができていたとは言えないんです。
ここ数年はそういう感じでやってきました。
もちろん、僕はこれを期待して望んでいましたけど。
でも、結果的にはそういうことが起きるものだと…「人生にはどんなことも起こり得る」という事ですよね。
👩:あなたは自分の"成功する運命"を理解しているんでしょうね。
"成功する為には厳しい道のりを歩かなければならない"という事をね。
あなたにとって学ぶことは難しいですか?それとも簡単なのでしょうか?
“Slavic Bazaar(2015年グランプリ)”ではすごかったですよね。
まさかグランプリを獲るとは思わなかったみたいでしたね。
驚いたのはあなたが【ベロヴィエーシュスカの森】を歌ったことです。*2
この曲を小さい頃から知っていたのですか?それともこのコンテストの為に覚えるように言われたのですか?
D:この曲は子供の頃から知っていました。
👩:ご家族はお宅ではロシア語で話をしているのですか?
あなたが生まれてから一年後にはロシア語はもう前ソビエト連邦としての公用語ではなくなっていたでしょう?
彼らは英語やフランス語を学び始めたでしょう?
あなたは7か国語で歌うんでしょう?
D:あ~、少なくとも努力はしています(笑)
👩:あなたが生まれる3年前にソビエト連邦が崩壊してそれぞれの国が分かれて行って、ヨーロッパの言語を学び始めましたよね。
家庭ではロシア語で話したり読んだりしていたのですか?
D:僕の家ではルールがありました。
祖父母、両親はいつもカザフ語で話すようにしていました。
それは正しいことだと思います。
どの国も、母国語を第一に尊重するべきだと思うからです。
そして僕らは母国語をもっと話す必要がありました。
カザフ人として、そんな難しい時期に「カザフ語が話せる人間」になったことが嬉しいです。
👩:多分あなたはもうカザフ語話者ではとどまらないでしょうね。
すでにアメリカやヨーロッパで様々な言語で歌っているからにはね。
7つの言語で歌っているのでしょう?
D:はい、僕はそういう言語で歌ってはいますが…
👩:フランス語、スペイン語…でもだからと言ってそれらが話せるわけではないんでしょうが…イタリア語はどうでしょう?
オペラを歌うにはイタリア語を知ることは必要でしょう。
D:はい、大学で学んでいたころはいつもイタリア語で歌っていました。
それとロシアのバラードも。
ドイツ語、フランス語、イタリア語で歌っていましたよ。
僕はカザフ語の継承者です。ロシア語も…。つたないですが。
👩:あなたのロシア語は問題ありませんよ。
D:有難うございます。
で、僕の英語はヒドいものです…。でも英語も(話せるうちに)入れられます(笑)
👩:あなたの代表曲は何でしょう?
まずは「どの曲がスターへの道をスタートさせたのか」から話してもらえますか?
D:それは多分【S.O.S.】が〖歌手〗と言う番組で僕の名前を有名にしたと言っても過言ではないと思います。
それに【Daididau】というカザフ民謡は、
僕が参加した多くの国際大会で歌いました。
👩:Dimash、“Slavic Bazaar”でもDaididauを歌いましたよね?
D:はい、準決勝で歌いました。
👩:どのくらいの頻度でそれを歌っていますか?
リスナーからのリクエストはどれくらいありますか?
今は新しいレパートリーも増えて人々から愛されているでしょうし。
D:【Daididau】は僕の人生でも特別なものなんです。
これはコンテストの為にアレンジをしたんです。
あの時僕は、「この曲を全世界に知らしめたい」と思っていました。
そしてスタジアム全体で、外国人もみんな一緒にこの曲を僕と一緒に歌ってほしいと。
そういうわけで、この曲は僕にとっては"歌以上の意味"があるんです。
↓ブログ内関連記事
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
D:“Slavic Bazaar”のステージでDaididauを歌った時のことを覚えています。
でも、ロシア1テレビ局は、準決勝(一回戦)という事で、これを放送しなかったんです。
👩:決勝ではなかったから…。
D:そうです。
“Slavic Bazaar”は"2回戦"からテレビ放送されたので、初回の決勝と2回戦の決勝は放送されたんですが。
1回戦でのカザフの曲【Daididau】が、こんな大きなチャンネルで放送されなかったことに、ちょっと怒りを覚えました。
ええと、"20歳の若造の野望"というのをご理解ください。(笑)
僕がグランプリを獲った後、Galaコンサートに出演したのですが、その時はロシア1チャンネルで放送されました。
そして、ディレクターが何か言ってきた時に、
「僕はその歌は歌いませんよ、僕は【Daididau】を歌いたいんです」と答えたのを覚えています。
彼らはGalaコンサートで僕に他の歌を歌わせたかったんです。
「カザフ語の歌はちょっと…」ということで。
👩:わかる人が限られる、と言う理由で…。
D:そうなんです。
でも(カザフ民としての)誇りが僕を(突き動かして)…。(笑)
カザフ語は英語のようには(広まっていない)ですが、とてもリッチな言語。
あまり知られていない言語ですが。
👩:とてもメロディアスな言語ですよね。そしてあなたの曲は美しい。
D:とても美しい言語ですよ。僕は大好きです。
で、彼らは僕を説得しようとしました。
「“Slavic Bazaar”は前ソビエト連邦の全ての国で視聴されているんだから」と。
👩:カザフスタンも含めて。
D:はい。
でも最終的には「【Daididau】は(言語がわからなくても)もっと通じるものがある」と彼らを説得することが出来ました。
👩:素晴らしい!
D:「【Daididau】じゃないと僕は何も歌いません」と言ったんです。
👩:すばらしい。
あなたはなかなかの個性を持っていますね、でしょ?
D:はい…僕の性格は天使のようではないですよね(笑)
👩:そんなことはないですよ。
でも、とてもしっかりしていますよね。
D:笑って理解を示してくれた主催者の方には、感謝しています。
彼らは僕の夢を実現させてくれて、結局は良いかたがたでした。
👩:彼らがカザフスタンであなたに会い、カザフ語の曲を聴いた時の歓喜の様子が想像できますよ。
D:はい、あの時を覚えています。
👩:そして、カザフスタンの大統領奨学金を獲得したんですよね。
D:はい。
👩:何かを始めるには必ず誰かの手助けが必要ですが、あなたの場合は先生方やあなたの国、海外で活動するということで。
その権威者たちとの関係性は、如何ですか?
D:僕が言えることは、「僕はクリエイティブの仕事をやるだけ」です。
👩:この検疫の中、どうやって過ごしていましたか?
家にいましたか?それともなんとか海外に出てパフォーマンスをしていたのでしょうか?
D:正直なところ、僕はスタジオに籠って仕事をしていました。
👩:アルバムを作成したのですか?
D:アルバムは創りました。
人々は"政府がアーティストの為に援助するべきだ"と言いますが…どうなんでしょう…
議論とすべき時期が何かわかりません。まだ、みんな、歌っていないんですから。
だって彼らはアーティストの為に歌ったり(働きかけたり)はしませんから。
僕の場合は、コンテストのお陰でリスナーが集まってくれるようになったのです。
彼ら(権威者)が、河川を僕の前に引いてくれたわけじゃない。
でも、カザフスタンでは、若い才能を支援しようとしています。
若い芸術家はしばしば若い才能を持っています。
👩:若いアーティストは、将来にむけて準備している間は、何でもやって、副業もやって、つまらないと感じる仕事もたくさんしなければなりませんね。
あなたは人気があって全てが上手くいっているので、自分のコンサートを行うのには援助は必要ないですよね。
D:僕にも家族や友人の助けはありました。ちょっと違う話にはなりますが。
👩:あなたには妹さんと弟さんがいますが、彼らも音楽の道に進んでいるのですか?
他の職業を選んだのでしょうか?
D:妹は医者になる為にアスタナで学んでいます。
弟は僕の大学の付属の学校で勉強しています。
"僕の大学"じゃなくて(笑)"僕の行った大学"ですね。
👩:何を言いたいかは分かりますよ。
彼は音楽を勉強している?音楽を勉強しているんですね。
先程、”この検疫の期間中はずっとスタジオに居た”と言っていましたが、そこで何をしていましたか?
D:はい、何曲か収録しました。ミュージックビデオも撮影しました。
そこで人生初の「映像監督」にも挑戦しました。
どれだけできたか分かりませんが、実はあまり気に入っていないんです。
👩:気に入らない?
D:あの…そうですね、どんな時でも自分のやった仕事を称賛することはないんです。
僕は、いつも何かが気に入らないんです。
何か欠けている部分を(自分のやった仕事の中に)見つけてしまうんです。
👩:そのMVはリリースしますか?それともできたばかり?
プロデューサーとかのチームを持っていますか?
その方々はあなたにとって近しい人達ですか?
D:曲名は【Qairan Elim】と言います。
👩:言語は?
D:カザフ語です。
この曲の作曲者はRenat Gaissinで、僕の国ではとても有名な作曲家です。
この曲が出来た時は、僕達はみんなスタジオにいたんです。
この曲は、僕の国で起こっている事実についてのもの。
パンデミックで多くの人々が亡くなったので、僕達は曲を創りたかったんです。
👩:カザフスタンの今の状況はどうですか?
このパンデミックは落ち着いてきていますか? それともいまだ大変なのでしょうか?
D:正直言ってよく分かりません。
でも、健康に注意するように警告されています。
みんなが今は安全を心がけています。
👩:コンサートはやりましたか?全くできていませんか?
D:ここ数ヶ月は“Arnau”と名付けたワールドツアーも中止せざるを得ませんでした。
でも、後悔はしていません。人々の健康がなによりも大事ですから。
👩:どの国が中止になったのですか?
D:最後のコンサートは、キエフ(ウクライナの首都)でした。(2020年3月11日)
↓ブログ内参考記事
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
👩:(キエフでは)ウクライナ語で何か歌いましたか?
D:【Marigolds】というウクライナ語の曲を歌いました。
Димаш Кудайберген | Dimash Kudaibergen - "Чорнобривці"
↓ブログ内参考記事
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
ウクライナのリスナーにちょっとしたサプライズをしたかったんです。
コンサートの数時間前にこの曲を聴いたんですよ。
👩:それは事前に準備していたんですか?
それとも即興で決めたんですか?
D:その場で決めました。
👩:誰かにアドバイスされたのですか?
どなたがこのツアーに参加していますか?
コンサートスケジュールはどなたが作っていますか?
同じ方がずっとやっていますか?毎回違う方ですか?
D:最初の頃は僕の中国のパートナーが僕のコンサートを主催していて、いくつか僕の中国のチームでコンサートをやりました。
今の主催者はKhizri(ヒズリ) Baitazievです。
彼はロシア人ですよ。
👩:近い将来コンサートを計画していますか?
この(コロナの)状況が良くなって、"コンサートホールに25%しか入れない"ということがなくなっていればいいんですけれど。
いずれにしても、計画されていますか?
D:正直言うと、コンサートをしたくて仕方がありません。
パフォーマンスするのが待ち遠しいです。リスナーが恋しいです。
でも、今はやりません。
人々を病気にしてしまうかもしれませんから。
観衆、人々の健康が、今の僕にとっては一番大切な事ですから。
いずれはコンサートが出来る時がやって来ます。
だから今は辛抱です。
👩:バーチャル収録はしますか?
多くのアーティストが、ボリショイ劇場で歌ったり、他の無観客のホールで収録してしたりしていますが。
彼らはテレビ放送を通じて歌い、リスナーやファンがそれを見ることが出来ますけど。
D:以前はそういうことはよく分からなかったんですけど、いろいろ考えたあげく、
最近になってオンラインコンサートを開催することに決めました。
来年1月16日にアメリカのTixr.comというポータルサイトで行います。
👩:それは"新しいコンサートプログラムで"ですか?
D:はい、新曲もあります。
👩:あの、私自身はクレムリンのソロコンサート(2019年3月)に行ったんです。
あれは耳を打つような(素晴らしい)コンサートでした。
何が驚いたかと言うと、あなたにとって"モスクワの大舞台での初めてのコンサート"にもかかわらず、チケットが完売になったことでした。
そして、チケットを買えなかった人が多くて、2日目までセッティングされたという。
6,000人の客席は、2日目も初日同様に満席で、初日より更に華やかで花も多くなっていましたね。
クレムリン、ロシアでは、もっとロシア語の曲を歌っても良かったのではないでしょうか? クレムリン、この大きな国の中心なのですから。
あなたのような才能と声をもっている人にお聞きしたいのですが、ロシア語に対してはどれほどの知識があるのでしょう?
ロシア語の曲をレパートリーにはしていないように思いますが。数曲ですか?
D:そうですね。
👩:それは、どうしてですか?
ロシアのリスナーはとても感激すると思うのですが、ロシアは巨大ですし。(マーケットとして)
それにポップソングもクラッシック音楽も伝統があります。
もっともっとロシアの作曲家との仕事をして欲しいと思っています。
Igor Krutoy氏とのお仕事は、とてもいいと思います。
【Love of Tired Swans】と言う曲は80年代の有名な曲を思い出させます。
新しい世代がこういう内容を音楽で継承してくれるというのは良いことですよね。
全てが続いている。
D:はい、Igor氏には感謝しています。
【Love of Tired Swans】は多くの人に気に入ってもらっていますし、勿論僕も大好きな
曲です。
Igor Krutoy氏は、僕の"ロシアで最初に仕事をした方だ"ということを皆さんに知っておいて頂きたい。
それまでは中国、韓国、ヨーロッパやアメリカの作曲家と仕事をしていました。勿論彼らの言語で。
約2年前からIgor Krutoy氏と仕事を始めました。
その間に数曲新曲をリリースしました。
【Love of Tired Swans】と【Know】で、3曲目はロシア語の曲(I miss you)が出ます。
Димаш Кудайберген | Я скучаю по тебе (Official Video)
そして、ロシアのリスナーの皆さんにも感謝しています。
僕を応援して、愛のプレゼントをくれようとしてくれて。
それを感じています。とても感謝しているんです。
👩:この業界は厳しいです。
あなたはライブで歌う(口パクしない)し、あなたにとって「全てのコードやキーで歌うことが可能だ」というのは、多くの人を驚かせますよね。
でもそれは他の歌手には面白くないことですよね、あなたがコンテストで抜きん出てしまうから。
どのようにしてこのポップミュージックの世界の人達と付き合っていますか?
D:よくわかりませんが、多分僕がカザフスタンの歌手だし、僕の活動はロシアには影響ないんじゃないでしょうか。だからロシアのアーティストとは何の問題もないと思います。
でも、ロシアにはたくさん素晴らしいアーティストがいます。
例えばNikolay Baskovさん、彼は本当に明るい方で、とても親切だと言いたいです。
👩:彼とは仲が良いのですか?
D:彼はとても良くしてくださいますし、僕も同じように振舞います。
アーティストとしても、人間としても尊敬していますよ。
そしてIgor Krutoy氏はとてもシンプルでやっぱり“クール”です。
👩:はい、名字とマッチしていますね。(笑)(同じ"音"ですね。)
Aleksandrは、ずいぶん前にあなたの出現に魅了されて、最初にあなたに会った時に「君は世界のスターになるよ」と言ったそうですが、その予言が本当になって良かったですね。
彼はIgor Krutoy氏ともよく仕事をしていましたから、何か彼のレパートリーからも将来歌ったら如何でしょう?
D:そうですね。
D:2019年4月にモスクワで【Love is like a dream】を、Alla Pugachevaさん(アーラ・プガチョワ。日本では加藤登紀子がカバーした1983年【100万本のバラ】の歌で知られる)の記念コンサートで歌いました。
Igor Krutoy氏から電話でオファーされて…お受けしました。
Dimash Kudaibergen - Love is Like a Dream ~ Димаш Кудайберген - Любовь, похожая на сон
でも、"オリジナルは越えられない"のは分かっていました。
この曲は"アーラさんの声で皆さんが愛した曲"だからです。
なので僕は「僕のストーリー」として、オリジナルとは違って聞こえるようにやってみました。
👩:もちろんそれが正しいです。
あなたは自分の解釈でやりました。
“The Song of The Year”では何を歌ったか教えて頂けますか?
D:新曲【I Miss You】です。
作詞はイゴール・ニコラエフ氏で、作曲がイゴール・クルトイ氏です。
👩:ではこの“Song of the Year”と新曲に期待しましょう。
成功をお祈りしています。
あなたのレパートリーが増えて、周りの同僚たちから愛されることを願っています。
これはこの業界ではとても大切な事ですから。
あなたの道が、あなたが思い描く通りに明るいものでありますように。
輝かしく、親切で賢く聡明な人。才能のある人。
有難うございました。
D:有難うございました。
👩:成功をお祈りし、新曲に期待しています。
ロシア語のレパートリーを増やして来てくれることをお待ちしています。
有難うございます。
D:有難うございます。
👩:新年の挨拶をリスナーへお願いします。
D:みなさんが良い一年をすごせますように。
みなさんの夢が叶いますように。
愛をこめて、Dimash Qudaibergen。
👩:ありがとう。
あなたの成功と皆さんのご健康をお祈りしています。
これで番組は終了です。
〖On the bend of time〗
Anna Dementievaがお送りしました。
本日のゲストは有名で輝かしいカザフスタンの歌手、Dimash Kudaibergenでした。
では、来週の土曜日にまた。
★★★
↓音源(約33分)
DIMASH - Интервью Радио Россия. ЭКСКЛЮЗИВ || ДИМАШ КУДАЙБЕРГЕН
★★★
【PR】
↓ダウンロードショップ(レコチョク)新曲"I miss you"ダウンロードできます。
↓Amazonで新曲"I miss you"ダウンロードできます。
★★★
↓公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブホームページ
↓公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブSNSとディマシュ本人やOFFICIALのSNS
※このブログは2つのランキングサイトに登録しています。
下にある2つのバナーボタン(にほんブログ村と人気ブログランキング)をポチっとして、ディマシュ・クダイベルゲンを日本に広める事を応援して下さいね ♪(SAMPLE画像参照してください)
※また、バナーの上にあるSNSシェアボタン(facebook、Twitterなど)も、どうぞご活用ください。SNSにログインした状態でポチっとすると画像付きで簡単にシェアできます。