Dimashが若いころから盛んに歌っていた"Jamaica"
最後のパワフルな超ロングトーンは、だれもが驚く聞かせどころ。
↓ 2019年3月 D-Dynasty モスクワ/クレムリン
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↓2013年1月 Екі Езу公式YouTubeチャンネルより。約1時間15分。
"Jamaica"
Dimashの登場は01:06:44頃。クリックで01:06:44に飛びます。
↓2015年9月 Telemasters. kz公式YouTubeチャンネルより。約11分40秒。
クリックで直接"Jamaica"に飛びます。
それにしても、
"なぜ、この南国の"Jamaica"という曲を、カザフスタンのディマシュが歌うのだろう?"と、ちょっと不思議にもなりますね。
本記事では、この"Jamaica"について掘下げたいと思います。
↓ 目次
★ディマシュの"Jamaica"こぼれ話
Dimashは、子供のころから、"とにかく歌のうまい賢い少年"として、つとに有名。
人気デュオとして活躍していたご両親と一緒のステージで早くから一緒に歌い、2010年に"Звонкие голоса Байконура"(バイコヌールのVoiced voice)で入賞した頃には、いろいろな催しに呼ばれてステージを華やかに盛り上げ、聴衆を喜ばせていたそうです。
当時の様子が、ユーラシアンクラブの記事にありますので、一部抜粋してご紹介してみましょう。(全文は、リンク先から是非お読みくださいね。)
それは、アクトベ地域カザンガップ児童芸術学校の校長(当時)、Сания Аймагамбетова(サニア アイマガンベトワ)さんの語る、Dimashの思い出です。
【抜粋大意】
「Dimashは、幼いころから、美しい声と歌だけでなく、礼儀正しく、喜んで人々の手助けをする少年として知られていました。
アクトベ(註:ディマシュの生まれ故郷)では、例年、さまざまの大切な祝日(Nauryz、Children's Dayなど)に、日に5つも6つもコンサートが開かれていました。
朝から夕方まで町のいたるところで音楽が響き、それは、ゲストや住民のための楽しみとなっていました。
2010年頃のディマシュは、これらの祝賀会場で「プログラムのハイライト」。
決して近いとは言えない会場間を駆け回り、暑さ寒さ、雨や雪などの悪天候であっても常にライブで歌いました。
他の多くの出演者は、自分の声帯を労わって演奏を事前収録したものですが。」
*アイマガンベトワさんは、2010年5月9日戦勝記念日コンサートの企画担当者でした。
「『2時間のコンサートで聴衆が退屈しないよう、明るく楽しい歌(Jamaica)が必要、ここはぜひ』とDimashに助けを求めました。
果たして、Dimashの歌に感心し魅了された聴衆は「ブラボー!」と大声で拍手喝采。
公演後、私は"ディマシュが将来世界的な名声と栄光を手にすること"を祈り、今日の成功を心から祝福しました。
Dimashは、はにかみながら笑顔で礼をのべ、急いで次の会場に向かいました。」
(全文はこちら:https://www.facebook.com/dimasheurasianfanclub/posts/1622760357899009)
どんないきさつで"Jamaica"を選曲するのか、その事情が垣間見えるようなお話ですね。
このサニアさんの記事にユーラシアFCが添付した動画も"Jamaica"。
説明が無いので、"いつどんな時のものか"調べてみました。
この演奏は、サニアさんが語った「5月戦勝記念コンサート」ではなく、
同2010年6月、
アクトベ州Қобда(コブダ)地区、コブダ文化会館で行われた、Qazaqstan TV開局50周年記念番組「あなたとともに50年!(50 жыл сіздермен біргеміз!)」のショーです。
放送局の象徴である「マイクロフォン」が大きく画面に映ります。
(テレビ放送されたこの番組や、2014年ロシアチャンネル1「KAZLOTO」番組のパフォーマンスは、当時のDimashに近しい熱心なファンの手によって録画され、残りました。
今、ネット上に出回っているのは、そういう動画を利用したもののようです。)
当時の地方新聞には、
「ベテラン歌手たち、カナト&スベタ アイトバエフのデュオ、Aimurat Mazhikbayev(アイムラト・マジクバエフ)、ジャディラ・アルスタノワЖадыра Арыстановаらとともに若いDimashも出演し、また、町のアマチュア歌手6人も負けじと歌った」と書かれています。
ディマシュのご両親カナト・スヴェタのおふたりは、チェリッシュみたいですね。
そして、マジクバエフさんの名前を聞いてピンと来た人もいらっしゃるでしょう。
↓ My Swan/Аққуым(Aqqýym)の作曲者です。
※なお、qazaqstanTV開局50年動画では、Dimashは途中から Браво(ブラボー)というソ連のバンドが書いたロシア語歌詞で歌っています。
♪ヤマイカ ヤマイカ
青空は 青い海に 飽きたらない
幸せか不幸せか 君次第
熱帯の太陽
朝には 撫でて喜ばせるくせに
真昼には 燃えて容赦なく照り付ける…
ヤマイカ 素晴らしい島
僕たちがつながっている運命の島…
★"Jamaica"のルーツ
お話を"Jamaica"に戻します。
底抜けに明るく、派手に盛り上がる"Jamaica"が聴衆に喜ばれたことはわかりますが、
それでもなお、
「なぜ、カザフスタンで南国ジャマイカの歌?」🤔
という謎は残ります。(ジャマイカは中央アメリカ、カリブ海にあります)
ルーツ1 T.A. Valli
この曲は、実はイタリアの曲で、イタリア語で"Giamaica"と綴ります。
1957年に、トリノ出身の芸能プロデュ―サー、ドメニコとジョルジオ セレン ゲイ兄弟(Domenico Seren Gay/Giorgio Seren Gay)が、歌手T.A. Valli(Tonino Antonio Valliトニーノ アントニオ ヴァリ)と共作し、Valli が歌いました。
「南国の太陽の渇きならば、湧き水で潤わせることもできようが、恋に焼かれた焦燥の我が身、わが心はどうすればいいんだ!」
"逃れたくても逃れられない、魔性に取りつかれた灼熱の恋"を、カリブの美しい海と緑が鬱蒼と繁る亜熱帯の楽園の島、ジャマイカのイメージに重ねています。
「Jamaicaよ、その美しい熱帯の空の下で
おれは生きていたい、
いや、いっそ死にたい…」
↓ TA.Valliの歌 1957年
あれ?思ってたのと…違う。
こんなセクシーな大人の歌?(;^_^A
ルーツ2 ロベルティーノ
↓ 私たちがディマシュと重ね合わせることが出来るのは、こちら。
フランス放送1961年(公式)
これを歌った少年(当時14歳)は、ロベルティーノ(本名Roberto Loreti)
1947年ローマ生まれ。
イタリアの貧しい家庭で、10歳からパン屋さんの小僧さんをして家計を助けました。
6歳で映画子役出演。歌の才能は幼いころから開花し地元の聖歌隊ではリーダーになります。
1961年ローマを訪れたデンマークの音楽家・TVプロデューサーがロベルト少年を知り、ヨーロッパデビューを持ち掛けました。
14歳で契約、遠いコペンハーゲンでロベルティーノ(小さなロベルト)の名前でデビューしてからは、役者・歌手としてあっという間に北欧~ヨーロッパ中で大ブームを引き起こし、アメリカのカーネギーホールでも公演。やがて、イタリアに凱旋帰国します。
変声期を過ぎてなお歌手として活躍し、今も歌い続けています。息の長い歌手生活をしているのは喜ばしいことですね。(大人のロベルト・ロレッティ氏が歌うJamaica動画もご本人の公式にあります。)
60年代にロベルティーノ少年が歌う"Jamaica"の人気は、フルシチョフ時代の旧ソ連まで伝わり、
「街全体がジャマイカに夢中、全ての家々の窓、喫茶店から『ジャマイカ』が聞こえ」、「失われた楽園、楽観主義と人生の喜びを思い出させ」たと、当時を知る人々がコメントしています。
やがて、ロシア語の歌詞も作られて、"Jamaica"は、実力派歌手がカバーする人気曲になりました。
ルーツ3 Vitas
さて、まだまだ、これでは、Dimashの耳には届きそうにありません。
もしかしたら、「高い声で有名な歌手・少年」としてロベルティーノを知っていたかもしれませんが、やはり、"Dimashが参考にした"とすれば、Opera#2のVitasを推したいと思います。
ヴィタス VITAS (Витас)
本名:ビタリー・ブラダソビッチ・グラチョーフ(Виталий Владасович Грачёв、
1981年生まれラトビア出身
Ямайка(jamaica)を2007年にアルバム収録しています。
終盤のロングトーンを聞かせどころにするアレンジは、Vitasならではのものです。
↓VITAS日本公式チャンネルから二つ(この2つは設定上YouTubeでご覧下さい)
↓2007年 ロシアの年末番組「青い灯」から。(ディマシュも2020年末に出演している長寿番組)
(この番組の都合上、録音リップシンクロは明らかです。)
↓2009年の新年特別番組より。
(動画の質は今一つですが、ライブ感とVitasらしい独特の雰囲気があります。)
★若い世代とディマシュの共演"Jamaica"
ちょっと長い旅になってしまいました。
TA.VALLIの大人の歌が、
アップテンポの若々しい歌に生まれ変わり、
イタリアのロベルティーノ、
ラトビア(デビュー当時はソ連)のヴィタス、
カザフスタンのDimashと
天才歌手が歌い継いできた"Jamaica"。
今でも声に自慢の少年たちがコンクールで歌っています。
いつか、また、
どこかで誰かが、この歌をきっかけに世に飛び出してくるかもしれません。
↓ 例えば、こんな風に…
【2016年 こどもの声コンテスト】
БАЛА ДАУЫСЫ(バラ ダウサ)公式
Amir KaysarとDimash Kudaibergenovの共演動画 "Jamaica"
※2022年6月現在、リンク切れ
(このコンテストでは、地域ごとに予選を勝ち進んできた子供一人一人にメンターの歌手が付いて、指導、応援をします。)
ではまた♬ Chao!
(まつりか)
★★★
↓ Dimashの最新公式動画"GOLDEN"ただいま89万5878回視聴!
(きのうより約8500回増えました!)
目指せ、100万視聴回数!
★★★
↓Amazonで"GOLDEN"リリース
https://www.amazon.co.jp/Golden-Dimash-Qudaibergen/dp/B08S6VV1ZQ
↓ほか (公式アナウンス)
★★★
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