ディマシュ・クダイベルゲン/ Dimash Qudaibergen  

ディマシュ ジャパン /Blog by Dimash Japan

Dimash Show 2021年12月25日【書き起こし】Part1

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・本記事は、

2021年12月25日にカザフスタンKhabar TVで放映された

"Dimash Show《Бата/バタ/祝福》"の、日本語書き起こし(前編)です。

 

・この放送の公式動画(約56分)は日本語書き起こしの末尾にあります。

 

★以下 日本語書き起こし(長文) 

※翻訳と分数はカザフ語版より
0:12

【前振り】

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Asanali Ashimov(アサナリ・アシモフ:俳優/旧ソ連名誉アーティスト):(バタ)君の今ある業績と栄誉を大事にして欲しい。

未来は明るく、ご家族が幸福で仲良くありますように。

Lyubov Uspenskaya(リュボフ・ウスペンスカヤ) :勿論Dimashと会ってみたいわね。

彼の生歌を聴いてみたいの。

これにはとても興味があるわ。

彼にはあの卓越した歌唱の才能があるもの。

Lukpan Zholdasov(ルクパン・ジョルダソフ):私達はコンサートの開演前にバタの祈祷を行い、コンサートが順調に行くように祈りました。

私達カザフ族はバタの祝福の中で育ってきましたのでね。

Nurlan Onerbaev(ヌルラン・オネルバエフ):30年間この<Qaraǵym-aı> を私が歌ってきました。

皆さんもご存じの通り、Dimashがこの曲を歌ったことで、この曲に2度目の生命を吹き込んでくれました。

Bibigul Tulegenova(ビビグル・トゥレゲノワ:旧ソ連人民アーティスト):当時、ある方が私にこうおっしゃいました。

"ビビグルapa、Slavic Bazaarに参加する準備をしている子がいるので、あなたのバタの祝福を頂きたいのです。"

私は「いいわよ。喜んで彼の為に祝福の祈祷をしますよ」と言いましたの。

Lev Leshchenko(レフ・レシェンコ):Dimashはカザフスタンの大切な息子だよ。

これは彼がカザフ語の曲を感情豊かに歌っていることでもわかるよね。

◆◆◆

(ナレーション)

"バタ"とは、カザフスタンの祖先より伝わる「良い言葉は、その幸運を半分はもたらしてくれる」と言われてきた"祝福"だ。

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「他者に祝福を贈ることができる者は、(自らの)運気が悪いはずがない。

器量足らずで他者への祝福ができない者は、成功することは難しい」

代々子供に教えてきたこと。

“むやみに敵を多く作ってはいけない、できるだけ他人からの祝福や支持を得られるように努力すべき”

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バタは、生活していく上で特別な意義のあるものだ。

"人と人との間のよきふるまい"を表すだけでなく、バタはまた人々を正直に、慈悲深く、知恵深くし、またそのスピーチ力を鍛えるものでもある。

また民族を永らえさせるものでもあり、我々の民族文化教育への啓蒙でもある。

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よく見てみると、こんにちの我々の様々な重要なシーンで"バタの祝福の儀式"が行われていることがわかるだろう。

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本日のドキュメンタリーでは、芸術家である我々の先輩方からDimashへ贈られた"真摯な祝福"について語る。

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<Dimash Show "BATA">

 

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Berik Zhysip(ベリク・ジュシプ:民俗学者):カザフ族にとって、"バタ"は、民族間の共通認識として非常に大切なものなのです。

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バタには"公の形式"と、"内面の形式"があります。

公の形式のものとは、公衆の面前で両手の手のひらを上に向けて広げ、大きな声で祝福の祈祷をするものです。

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そして内面の形式のものは、心の中で常に祈りを捧げることです。

又は特別な時に祈祷の形で祝福を与える必要がある場合にも。

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(ナレーション)
学者たちの研究によれば、バタは"人生の哲学を蓄積したもの"だそうだ。

言語に熟知した先祖たちがこのバタの儀式に特に関心を寄せており、彼らはその祈祷による祝福の一言一句が"実現できるもの"と信じてそれを口にするのである。

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バタは、一般的には年長者、知恵ある者、威厳のある老人などがそれを念じる。

若者たちは"知恵ある老人や白い頭巾を纏っている祖母たちの祝福を受けたい"と願っているものだ。

“あなたの人生を祝福する、月明かりのように透き通り、星のように輝くことを!” 

“前途洋々、敵だった者と友になれるよう”

というような言葉で。

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このような美しい祝福は、美しい人生の始まりとなる。

年長者による祝福、教示を聴き、先輩たちのバタを得る為に一所懸命に生活し、学ぶことは、"品格"を教える一種の方法だ。

 

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Bibigul Tulegenova(ビビグル・トゥレゲノワ:オペラ歌手/旧ソ連人民アーティスト):私の記憶が間違っていなければ、あれは<自由な翼> 青年歌手コンテストでした。

その当時の演出家の方が私におっしゃるには「ビビグルapa、Slavic Bazaarに参加する準備をしている子がいるので、あなたのバタの祝福を頂きたいのです」と。

私は「いいわよ。喜んで彼の為に祝福の祈祷をしますよ」と言いましたの。

あの時はちょうど夏で、今日のお天気のように暖かな日和でしたわ。

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見るからに年若い、痩せた男の子がそこで待っているのが見えました。

今Dimashは27歳ですから、あれは7~8年ほど前のことですわね。

その時丁度観客が入場している頃でして、外には臨時のステージが設けられており、みなさん私たちを見ていらっしゃいました。

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私はそこでDimashの為に祝福を贈りましたの。

彼は私の手にキスをして「Apa(年長の女性への尊称)、祝福頂きありがとうございました」とお礼を言って去って行ったのです。

 

(ナレーション)
“カザフの雲雀(ひばり)”と称されているBibigul Tulegenova(ビビグル・トゥレゲノワ)の名前は一般に広く知れ渡っている。

彼女は最も早い時期から優秀な歌手/アーティストの代表とされている。

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カザフスタンの歴史上、旧ソ連において “人民芸術家” という栄誉ある称号を受けたオペラ歌手は7名だけだ。

その内の一人がこのビビグル・トゥレゲノワだ。

(ビデオ:<春のワルツ> 作曲:зацепинザツェーピン 作詞:зисжинаジスキナ)

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(ナレーション)
このようなレジェンドからバタの祝福を受けられたのは、夢見た道を歩み始めた若者にとっては非常に貴重なことだ。

その祝福と共にSlavic Bazaarコンテストに参加したDimashは、大勢の期待を裏切ることなくグランプリを獲得し、名を挙げたのだった。

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B:DimashがSlavic Bazaarで優勝して帰国して暫くしてから、私たちは大統領府で会いました。

ご両親も彼の傍にいらっしゃいましたよ。

彼はいつも私に白いバラの花をくれるのですが、あの時も大きな花束を抱えて来まして、片膝をついて「Apa、Apaのバタの祝福を頂いたお陰で、Slavic Bazaarではグランプリを獲得することができました」と言ってくれました。

私は「Dear、あなたの前途が光り輝きますように」と言いましたの。

◆◆◆

(ナレーション)
“前途洋々であれ”

“あなたの旅が幸運の神に守られますように”

という言葉は、バタの儀式ではよく使われる祝福のフレーズだ。旅立つ人間にこのような祝辞を贈る。

遊牧民の伝統としてこのような儀式形式となったのだろう。

例として、古代では夏の牧場へ向かう際、このバタの祈りの儀式を行わなければならなかった。

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夏の牧場へ移動する初夏の時期は陽光輝き、万物が育つ時期であり、人々も力漲る季節…新たな始まりだ。

現代に至っては、重要な催しや大切な場面ともなれば若者もみな"年長者の祝福を受けたい"と望む。

◆◆◆

芸術の道における先輩たちは、Dimashのどの選択においても全力で支持してきた。

カザフの文化芸術界での優れた者たち、彼の先達であるアシモフは、天性の才能を持ちカザフスタンの音楽文化を伝承しようとしているこの若者を特別に大事にしている。

 

Asanali Ashimov /Асанәлі Әшімұлы Әшімов/アサナリ・アシモフ(俳優):

(バタの祝辞)

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Dimash、君には感謝している。

私の心からの祝福を贈りたい。

君の前途が輝くことを祈っている。君の旅(人生)が幸運の神に守られることを祈っている。

如何なる時も自分を大切に、君の(国の)人々は君が必要なのだ。

世界を巡り、我々の栄光の為にも努力を続けておくれ。

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君の存在が全世界にカザフ民族を知らしめていることを、私はこの上なく嬉しく思っている。

今ある成功と栄誉を大事にして欲しい。

君の前途が輝かしいものであるように。

ご家族の幸福と団欒を祈る。

(映画 <シベリア横断特急> のシーン)

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(ナレーション)
アサナリ・アシモフはレジェンドであり、一時代を築いた。

彼の主演映画 <シベリア横断特急> は広く好評を得ており、数多の人々がインターネットでこの映画を探して観ている。

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彼はまた、“ソ連国家賞” も受賞している。これは旧ソ連時代で芸術活動を行っていた者にとっては相当な栄誉な賞だ。

アサナリ・アシモフは数十年の芸能人生で多くの天才たちに出会ってきた。

しかし、その彼をもってしてもDimashは突出した存在だった。

彼は、"このようなとびぬけた音楽的才能のある歌手は、映画でも突出した演技ができる"と確信している。

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A:彼(Dimash)は映画に出演しても全く問題ないと思うよ。

彼はカメラ映えもするし、彼の曲の情緒表現を見てもそれがわかるね。

Dimashは、今はもう “天才” という言葉では表せない程の多面性を持っている。

彼を形容できる言葉を見つけないとね。

 

天才はたくさんいる。

だが、Dimashはその者たちを遥かに超えている。

彼のあの端正な顔立ち、均整のとれた体形、風格のある気質に器量の豊富さ…どの面においても良い役者になる素養がある。

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人生長くやってきたから、いろいろなことを体験してきた。

よくDimashに言っているのだが、"私のような歳まで生きるには何に気を付けなければいけないか"をね。

彼はまだ若い。才能もある。

健康でさえあれば、努力して自分の思う目標に到達することができるんだ。

最も大事なことは、彼が自分の持っているその才能を大切にできること。

彼は既にフランス、イギリス、中国等の様々な国でコンサートを行ってきた。

"これはなかなかできることではないのだよ。"とね。

◆◆◆

(ナレーション)
後輩/若者の努力を見て満足し安心するということはそう多くはない。

特に旧ソ連時代に成長し、ある程度の知名度を上げられるアーティストはそうはいなかった。

現在の芸能界や音楽界ではあまり理解されないことだ。

現在の状況を見ればわかるが、世界のショービジネスの競争は激しい。

様々な国には才能ある歌手があまたいる。

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今では大きな大会に参加してパフォーマンスができるようになったが、やはり競争は激しく、アイドルも多くなった。

だが、"模範となれる者"は少ない。

今はインターネットで世界が繋がり、若者たちはネットを通してあらゆる地域や国のパフォーマンスを観ている。

つまりは違う文化を受け入れる能力も高くなってきている。

様々なパフォーマンスのやり方にもすぐに慣れることができる。

"新しい・奇抜な・独特なパフォーマンスで注目を浴びる"というのがこの業界の常となった。

サウンドやライティングの技術が重要となってきているのだ。

音楽芸術の結晶である"作品自体"はますます重視されなくなっていった。

 

Lev Leshchenko(レフ・レシェンコ:歌手、ロシア):こんな時代にもかかわらず、Dimashは類稀なる優秀さで、突出してきた。

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まずは彼の作品について語りたい。

大抵の人は"すぐに成功したい"と願っている。

一曲書いたら急いでアレンジして、急いでコンサートで歌うんだ。

ほとんどの人の目標はシンプル、つまり"金を儲けて成功する"ことさ。"作品自体"はお粗末だったりする。

しかし、Dimashの作品はどれも細かい所まで精査されて、彼の頭にある"完璧な状態"に達してから、初めてリスナーに届けられているんだよ。

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今、私達が言うところの"ショービジネスの市場"はとても利益主義で、作品は市場と販売という業績の為の一種の “商品” になり果ててしまっている。

昔は芸術文化は重視されていて、それは人々の心にあるものを追求する"崇高なもの"だったんだ。

(それをしている)Dimashは、本物の芸術家/アーティストだよ。

彼はクリエイティブなことに対して誰よりも真摯だ。

彼の音楽への愛とそれを追求する姿は本当に純粋だよ。

これは、本当に尊いものだね。

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(ナレーション)
旧ソ連時代のアーティスト達は、音楽や文化・芸術に対しては非常に厳格だった。

また彼らの時代には"ソビエト連邦の全土で知名度を上げる"のは非常に大変な事でもあり、それと同時に、"連邦の一員"として"彼ら自身の民族文化"は、軽視されていた。

“連邦” の意識と “民族” の精神は、少なからず対立することになったのだ。

この “連邦” の意識だけが支持され、“民族” 精神は批判すらされていた。

その為、自国やひいてはソビエト連邦全土で業績を上げ認められるには、相当な才能とたゆまぬ努力が必要だった。

このような文化背景のもと、ソビエト連邦で有名だったバリトン歌手レフ・レシェンコにとって、カザフ人やカザフの芸術家・カザフ音楽文化は非常に深く興味をそそるものだった。

彼は"若者の発展"にも相当の関心がある。

中でもDimash Qudaibergenへの評価はとりわけ高い。

彼に言わせると、Dimashは映画での"演技"も問題なくやれる。

"Dimashは俳優としての能力も持ち合わせている"と彼は考えているのだ。

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L:Dimashが歌っている様子は、一挙手一投足・憂いの表情や笑顔、みな素晴らしい。

その精神状態やボディランゲージは実に音楽にマッチしているよね。

それらと同時に高品質・高水準のボーカルスキルを保てる、というのは、非常に難しいんだ。

身体を動かしながらも安定した声を保つには、その楽曲を完全に把握していなければならないんだよ。

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Dimashのパフォーマンスのやり方は、彼のトレードマークにもなったね。

彼は"全ての方面で究極に達する訓練をした"天才歌手だよ。

それに加えて彼の容姿と体形は、俳優をやるにはうってつけだと思うね。

 

ステージ上でも会ったし、メイクルームでも彼に会ったことがあるよ。

有名な作曲家のIgor krutoyはDimashの為に多くの曲を書いている。

Dimashの謙虚で落ち着いた物腰には、私は感動したね。

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彼は、教養に満ちた人間だ。

彼のステージへの敬意も、彼の人生に対しての敬意とその行いへの連動した鉄則となっているんだ。

 

(ナレーション)
レフ・レシェンコはソ連という時代とロシア人に強く支持されてきた。

彼の深い声、自然で滑らかな装い、優雅で紳士的なステージのスタイル、豊富な表現力は多くの人々に愛されてきた。

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彼の深みのあるバリトン、優雅なステージでの表現力が"歌手が持つべき素養"だとしたら、聴衆の前での彼の振る舞いは、同業者の中でも明らかに特別なものがある。

この80歳近い歌手/アーティスト、レフ・レシェンコが大衆にもたらしたものは、美しく深いバリトンに留まらず"そのステージを掌握する力"だ。

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L:人を引き付ける歌唱能力に富んでいるということは、高い称賛を受け続けられるということだよ。

私が常に思っているのは"どの人間にも自分の人生に使命がある"ということ。

歌手にも自分の天命があると信じているんだよ。

これは私個人の考えだけどもね。

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Dimashにも一種の使命感があるように感じるね。

彼がステージで歌うと、その心にある感情を、声を通してリスナーに伝えることができる。

これは"技術"で歌っているだけじゃないんだよ。

彼は歌うことで"曲それぞれが持つその意義と深さをリスナーに感じさせることができる"んだ。

Dimashの慈悲・リスナーへの愛と敬意は、リスナーに深く愛されるものとなっている。

彼はまだ若いが、ステージ上でのその表現力は、彼の年齢以上に落ち着いている。

それがパフォーマンスを掌握する力を非常に高めているんだ。

彼の身体に流れている血に、天からの使命が溶け込んでいるのかもしれないね。

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◆◆◆

(ナレーション)
"若者世代の教育の発展"に関することに話題を移そう。

この人物(Dimash)の品格を培ってきたものに、関心を寄せてみよう。

良い家庭教育を受けた子は、"その親が何者か"を見る必要はない。

子供の言動を見れば、その(親の)教養がどれほどかは、おのずと分かるものだ。

 

14:51

(ナレーション)

カザフスタンの有名な作曲家・歌手・プロデューサーのҰлықпан Жолдасов / Lukpan Zholdasov(ルクパン・ジョルダソフ)は、ZAKEROMミュージックカンパニーの創設者であり、2017年にDimashが中国の番組<歌手2017>で歌唱した<Unforgettable Day> のプロデュースをしている。

この楽曲はDimashの歌唱によりヒット曲となった。

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優秀なミュージシャン同士の間ではアーティスティックなインスピレーションが湧くものであり、聴衆に深く愛される楽曲を共に創り出すことができる。

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この才能ある音楽プロデューサーとアーティストの間に芽生えた友情については、聞いている人もいるだろうが、知らない人もいるだろう。

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Dimashはルクパン氏の背中を見て育った。

この両家(Qudaibergen家とLukpan Zholdasov家)は、数十年来の友好関係を築いている。

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L:Dimashが公演に出かける時は、いつでも(最年長者の)おじいさまとおばあさまの “バタ” の祝福を受けています。

2019年のロンドンコンサートの時は私が(その場にいた)一番の年長者だったので、コンサートの開演前に急に思いついて祈祷をしました。

慌ただしい中でしたから、簡単なバタの祝福をしたのです。

(バタの祝福をするビデオ/2019年)

L:"カザフ国民の心からの願いを背負ってやって来た君が全て上手くいき、コンサートが順調に進むことを祈る。"

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15:48

L:あの時は緊張してしまっていて、良いバタの祝福の言葉を思い付かなかったんですよね。(笑)

それであのような簡単な祝福の儀で"コンサートが順調に行くように"と祈ったわけです。

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私達カザフ族は"バタの祝福"の中で育ってきましたので、このような祝福を贈るのはとても良いことだと思っています。

あの時は私が一番の年長者だったことで、Dimashを私が祝福できたのは、非常に光栄でもありましたね。

(ナレーション)

ルクパン・ジョルダソフとその夫人Aigan(アイガン)は、KanatとSveta Aitobaev夫妻やその家族と以前からとても親しい付き合いをしていた。

この2つの家族の長きにわたる友情は、彼らが芸能界に入ったばかりの頃から始まっている。

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L:私たち夫婦は、Kanat・Sveta夫妻とはかなり以前からの知り合いでした。

あれは1998年でしたか…もう数十年経ちましたね。

当時、私達は大きなイベントに出演しまして、そこで彼らと知り合いました。

みんなで談笑していると"ご夫婦ともにアクトベ出身だ"ということがわかったのです。

私はМаңғыстау(マンギスタウ)出身だから、"みんな西の地区出身"ということで、親近感がわいたのですね。

そしてそのまま自然にお付き合いするようになったのです。

のちに彼のコンサートに招待もされました。

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L:Kanatはその頃"Dimash Aliクリエイティブセンター"という会社を設立しました。

これは今でも存続していますね。

当時の彼はあらゆる面でその素晴らしい才能を表していました。

私達はアクトベで合同コンサートを開きました。

あの時はファリダ(ルクパン氏の長女/ポップシンガー)もまだ幼く、ファリダもBolat(ボラト:ルクパン氏の長男/ミュージシャン)とパフォーマンスもしました。

妻のアイガンはイベントの演出を担当し、Svetaと彼女の弟の3人で会場のデザインとイベント活動をまとめる仕事をしていました。

Kanatは総指揮をとっていましたね。

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L:私達はアクトベではKanatの家に宿泊していました。

我々の友情はこのようにして始まり、続いているのです。

 

Dimashは、当時はまだ3~4歳の子供でした。

話す練習をするのが好きで、ピョンピョンと飛び跳ねていた時期でしたね。

"音楽の天性がある"というのは、見てわかりました。

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L:あの頃の彼は既に音楽への興味を示していて、家にある電子ピアノで遊んでいましたしね。

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それに私に “どうやって曲を書くのか” を質問したりしていましたよ。

その時私は彼に曲を書いてあげる約束をして、曲のさわりを書くまではしたのですが、その後忙しさにかまけて忘れてしまいました。

もうずいぶん前のことなので、そのメロディーは思い出せませんが。

18:04

アイガン(ルクパン氏の妻):今でもピョンピョン飛び跳ねていた頃の小さなDimashの姿が目に浮かびます。

あの当時は仕事の関係でよくアクトベに行っていましたから。

彼が4歳か5歳くらいの時でしたか。

よく話す子で、お話をするのが大好きでしたね。

よく飛び跳ねて活発で、家ではずっと鼻歌を歌いながら駆け回っていました。

(ドンブラを弾くベイビーDのビデオ)

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アイガン:Dimashはいつも “アイガンママ、アイガンママ” と呼んでくれました。

私が2階へ上がると彼もいっしょに2階までついてくるのです。

私が下へ降りると彼もまた走ってついてきました。

エネルギーの塊のようでしたね。

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アイガン:ある時、彼の家に行きましたら、彼のおもちゃの電話が2階から落ちてきました。

彼は私達にずっと何かを訴えているようでしたが、後になってそれは彼が私達に"電話が壊れたいきさつ"を説明していたのだとわかりました。

私は今でも時々

「Dimash、あなた、小さい頃はあんなにおしゃべりだったのよねぇ」って言って彼をからかうんですよ。(笑)

 

彼が大学に入学した当時、私達はAlmaty(アルマトイ)に住んでいました。

DimashはAstana(アスタナ/現ヌルスルタン)の大学に通っていましたが、よくAlmatyまでやって来て、我が家を訪ねて来てくれましたよ。

当時はAlmatyでよくイベントがありましたから。

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アイガン:私はミルクティーを用意して彼が来るのを待ち、一緒にお茶を飲みながら話をしました。

ルクパンも言っていましたが、私達には尽きない長電話をするくらい話題がたくさんありました。

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19:22

(ナレーション)

Dimashによると、初めて中国のコンペティション番組に参加した時のことを、彼は非常に鮮明に覚えている。

この番組を終えて帰国した際、Almatyの空港に着いてすぐにDimashはルクパン氏の家を訪問した。

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氏の家族は歓迎会の準備をして待っており、参加した番組について一緒に話をした。

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聞くところによると、この2人のミュージシャンは徹夜で語り明かしたようだ。

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現在では卓越した業績を上げたDimashだが、Almatyに来るたびに氏の家を訪れ、休息をとる。

彼らの間には多くの興味深い楽しい時間がある。

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L:面白いことと言えば、彼が中国から帰って来た時、飛行機は朝の9時に到着だったので、我々は空港に迎えに行ったのです。

車の中から私達の会話は始まり、夜9時になり、しまいには明け方4時まで話し込んだんですよ。

そして朝食を食べ、食後のお茶を飲んでまた話し、11時まで話をしましたね。

そして倒れこみ24時間寝て、やっと(体力が)回復したようでした。

私達は自分の創作プロジェクト、カザフの民族音楽、世界中の音楽のジャンル、更に現代音楽の興行のやり方についても語り合いましたね。

話題が尽きることはありません。

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私達両家はこれほど長きにわたる友情があり、今ではほとんど一つの家族のようになっているのです。

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私達はみな現在Astana(アスタナ/現ヌルスルタン)にいますので、何かにつけて集まっています。

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我が家に帰るのと同じように

「今そっちに向かっているからお茶を用意しといて」と一言電話するだけ。

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L:彼らは、私達が付き合っている"良き家族"なのです。

そして彼らは"模範的な家族"でもあります。

 

A:それと、こんな面白いこともありました。

Dimashがまだ大学生の頃ですが、彼はうちに来ると"私の携帯"でインスタグラムを見るんですよ。

当時、私は"早くからインスタグラムのアカウントを持っていた者"の一人でしたので、私の携帯の私のアカウントからDimashはいろいろ見ていたのです。

ですから私は彼に「Dimash、自分で(インスタグラムの)アカウントを持てばいいじゃない。そしたら自分の近況も出せるわよ。」と言いました。

その時彼は「自分のアカウントは持ちたくないんですよ。だっていろんな人がいるでしょ、いろんなことを言われるのはイヤだから」と答えました。

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でもその後、何があったのかわかりませんが、Dimashは自分でもインスタグラムのアカウントを作りましたよね。

そしてその後、Slavic Bazaarに参加してグランプリを獲得しました。

その時彼のインスタグラムのアカウントは彼の影響力を拡大するのに役立ちました。

彼はインスタグラムで私に感謝して(コメントで)こう言っています。

「アイガンママが “クドクド“ とお説教してくれたお陰で(笑)インスタグラムのアカウントを作ってみたら、すごくいい助けになったよ。

アカウントを持ったから、ママたちに僕の近況を知らせることもできるしね」と。

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A:Slavic Bazaarに参加する以前、彼はMeikin Asiaの大会に出場しました。

また、Oriental Bazaar国際大会にも出場しました。

大会では(夫の)ルクパンが創った曲を歌ってグランプリを獲ったのです。

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A:Slavic Bazaarに出場した時に彼とはWhatsAppで連絡を取りました。

明け方4時に音声メッセージでグランプリを獲ったことを報告してくれていました。

私はDimashの大会の結果を心待ちにしていたのに疲れて眠ってしまって(彼からの着信の音が)聞こえず、朝5時に起きてこの大きな喜びのニュースを知ったのです。

その時彼はインスタグラムでグランプリ獲得のグッドニュースを(みんなに)知らせたのですよ。

 
 
 
 
 
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A:(Dimashの両親)KanatとSvetaも、私が散々言い続けて、ようやくインスタグラムのアカウントを作ったんです。

これも私達の間での愉快な思い出になっています。

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22:46

(ナレーション)

ジョルダソフ夫妻のSNSアカウントにも、DimashのSNSアカウントにも、Dimashと共に成長してきた子達の写真が見て取れる。

その中にルクパンとアイガン夫妻の息子(ボラト)と娘(ファリダ)がいる。

恐らく年齢が近いからか、Dimashは幼い頃からファリダとは仲が良い。

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A:この写真は、いつもいろんなことを思い出させてくれます。

これは(夫の)ルクパンと(娘の)ファリダと(息子の)ボラトのコンサートの時のものです。

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当時ファリダは子供たちの中でもステージ経験がありましたから、このコンサートを見に来ていたDimashが、ファリダに花を贈ってくれました。

写真ではファリダは花を抱え、Dimashは首を伸ばして上を向いていますよね。

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L:あの時、あの子(Dimash)は早く背が高くなりたかったんだね(笑)

A:写真の(息子)ボラトは背が高く、歳も少し離れていましたから。

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A:Dimashと(娘の)ファリダは親しく、悩みなども打ち明け合っていたのは、年齢が近くて共通の話題もあったからでしょう。

この頃のDimashは剽軽で面白い子だったと記憶しています。

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ボラト:僕がアクトベに行くときは、ホテルに泊まったことなどありませんね。

いつもDimashの家に直接行っていましたよ。

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あの頃彼はまだ幼くて、わんぱくで活発な子でした(笑)

彼とRaushan(D妹)の二人はよく騒いでいましたね。Raushanはもっと小さかった。

 

そして一時期、僕が学校に行っていたからか、暫く会えていない期間がありました。

ある日DimashがAlmatyに来た時に(久しぶりに)会ったら、もう背丈がすごく高くなっていてビックリしました。

ちょっと(彼だと)わからなかったくらいでした(笑)

 

それから暫くして彼のパフォーマンスを見に行き、

"(彼の)音楽的な造詣は、相当深くなっている"と思いました。

 

24:29
<Qaraǵym-aı>

(歌)Нурлан Онербаев/Nurlan Onerbayev/ヌルラン・オネルバエフ

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♪Qaraǵym-aı

人生は静かに過行く

愛のない世界は静かなる荒地だ

(歌)Dimash

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(ナレーション)

<Qaraǵym-aı>は、カザフ語では、人々の耳に馴染んでいる"年長者から年少者への心温まる呼びかけ"だ。

例えば、父から娘へ。

この名曲は偉大なる優しさと愛に包まれて生まれてきた。

 

我々の民族の言語文化は非常に豊かで、その言葉の情緒表現は非常に細やかだ。

 “Qaraǵym-aı” というフレーズは様々な場面で使われるが、その時々で違った情感を表す。

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卓越した才能を持った詩人Shomishbay Sariev(サリエフ)氏は、娘の嫁入りの時に自分の気持ちを全てこの詩に込めて書いた。

“My Dear、恋する者の情は心を許す。数多の人の中でお前の心を虜にするその幸運な者は誰か?”

このテーマは明らかなように見えて、その心の奥には様々な気持ちが隠されている。

“人生はこのように突然過行く、愛のない世界は静寂な荒地だ” …

詩人の娘への深い情感に感動する。

 

友人のサリエフに頼まれ、

作曲家Kenes Duisekeevは、この詩から曲を書いた。

そのようにして友人である2人の音楽家は共にこの <Qaraǵym-aı>という曲を創り、世に名作を残し、我々の民族音楽を更に豊富にしてくれたのである。

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この作曲家は19歳でこの世を去った姉への想いを楽譜にし、無数の人々を感動に導いた。

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詩人Shomishbay Sariev(1946-2021)と作曲家Kenes Duisekeev(1946-2020)は共に現在は我々の元を去ってしまったが、我々に豊かな音楽の財産を残してくれた。

 

<Qaraǵym-aı>というこの曲は、30年もの間Nurlan Onerbaev(ヌルラン・オネルバエフ)によって歌われてきた。

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Nurlan私の歌に生命力があればといいと思っている。

30年歌い続けてきた、この<Qaraǵym-aı>のようにね。

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(ビデオ:カザフスタン最初の宇宙飛行士に捧げる)

※カザフスタン最初の宇宙飛行士Тоқтар Әубәкіров(トクタル・アウバキロフ)と中継で交信

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(若き日の)Nurlan:"そちらはいかがですか?

私達は(宇宙にいる)あなたを拝見して、とても嬉しいですよ。

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あなたへの想いを込めて、みんなが大好きな曲を歌いますね。

♪Qaraǵym-aı ~ ♪"

(宇宙で聴いているトクタル・アウバキロフが少し涙ぐむ)

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◆◆◆

N:皆さんもご存じの通り、Dimashがこの曲を歌ったことで、この曲に2度目の生命を吹き込んでくれましたね。

彼のその特別な声でその表現力を最大限に活かし、非常に深い感情を彼はこの歌に込めました。

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それにこの <Qaraǵym-aı> はミュージックビデオでDimashにより世界中のファンが気に入ってくれ、カザフ民族の名作として感動を呼んだのです。

"命のある曲"というのは、

こういうものなのです。

"それぞれの時期に一番適した歌唱者"を得るもの。

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<Qaraǵym-aı>に第2の命を吹き込む歌手、未来の最適な歌唱者は、Dimash以外にはあり得ないと僕は思っていますよ。

 

 

Anna Oboyanskaya(アンナ・オボヤンスカヤ:Dimash Digital Show ディレクター):

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A:(デジタルショウでの"Qaraǵym-aı"の)ピアノの演奏は、Zarina Bozhakova(ザリーナ・ボジャコワ/ディマシュのバックコーラスメンバー)が担当しましたが、

彼女はビアノが上手いだけでなく、演技の才能も発揮してくれましたね。

このストーリーの情感を的確に表現してくれました。

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A:この曲の中では、花嫁が純白のドレスを纏って優しくその旋律を刻むのです。

最初にKanat Aitbaev 氏がこの曲の背景を語ってくれた時、このシーンが頭に浮かんだんですよ。

でも最初、ザリーナはこの役を引き受けてはくれなかったので、彼女を説得するのに苦労しました。(笑)

恐らくカザフの女性のシャイな性格のせいでしょうかね、恐がっちゃって。

ですから説得する為に、この曲の創作背景を彼女に話して、"このステージのピアノ演奏だけでなく、このストーリーの主役として観客を引き込んで欲しい"と頼みました。

そして"早くに亡くなってしまい、お嫁さんになる夢が実現できなかった女の子の気持ちを演じて欲しい"と。

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A:私達の目標は、"そのストーリーと背景にある深い感情を、限りあるステージで観客に表現すること"ですから。

Dimash - Карағым Ай (Qaragym Ai) 2021

※日本語字幕付き

youtu.be

↓ ブログ内参考過去記事

dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com

30:07

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Kanat Aitbaev(D父):…あの時、Dimashが、電話の先でとても嬉しそうに

「ケネスagaが彼の誕生日の式典で『<Qaraǵym-aı>を歌ってもいい』って言って下さったんだよ。

僕の歌を認めて下さったんだ、そして僕に大きな激励を下さったんだよ。

すごく嬉しいよ」

と言ったのを覚えていますね。

(註:2016年。恩師であり、この作品の作曲者でもあるKenes Duisekeev氏の70歳を祝う記念コンサートにディマシュは出演した。)

Dimashはこの曲を彼なりの解釈でパフォーマンスをして、作曲家の先生に認められたのです。

 

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K:どの歌手もそれぞれに自分の歌唱スタイルというものがあって、自分なりの解釈で観客にその情感を伝えるものです。

それぞれの曲に対する理解は個々で違いますので、Dimashは彼なりの解釈で歌いました。

 

私達にとって最も大切なのは「その作曲家としてトップの地位にある方、尊敬している先輩に、デビュー間もない後輩がこういう形で認められた」ということなのです。

先輩のバタの祝福と励ましを受けて育った子の運が、悪いはずがありません。

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成長していく上でDimashが年長者・先輩方・先生方のもとで祝福や叱咤激励を頂けるのは、彼にとっては幸運な事です。

これらの教示をしっかりと胸に刻み、これからの人生を正しい選択をして一歩一歩自分の夢を実現していって欲しいとDimashには願っています。

 

Part2に続く

dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com

 

↓ 公式動画(約56分)カザフ語バージョン

«Dimash Show. Бата». Арнайы жоба /Спецпроект - YouTube

youtu.be

↓ 公式動画(約55分)ロシア語バージョン

«Dimash show. Напутствие» Спецпроект - YouTube

youtu.be

★★★

↓過去のDimashShow翻訳書き起こし

Dimash Show 2020年5月24日【書き起こし】Part1

Dimash Show 2020年5月24日【書き起こし】Part2

Dimash Show 2020年8月22日【書き起こし】Part1

Dimash Show 2020年8月22日【書き起こし】Part2

Dimash Show 2020年8月29日【書き起こし】Part1

Dimash Show 2020年8月29日【書き起こし】Part2

Dimash Show 2020年12月19日【書き起こし】Part1

Dimash Show 2020年12月19日【書き起こし】Part2

Dimash Show 2020年12月30日【書き起こし】Part1

Dimash Show 2020年12月30日【書き起こし】Part2

Dimash Show 2021年10月17日【書き起こし】Part1 

Dimash Show 2021年10月17日【書き起こし】Part2

★★★

↓公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブホームページ

dimashkudaibergenjapan.com

↓公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブSNSとディマシュ本人やOFFICIALのSNS

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