◆本記事は、
DK Media Worldによる動画 "ディマシュの冒険 in カンヌ"の日本語書き起こし 前編です。
2017年・2018年にディマシュはカンヌ国際映画祭にカザフスタンチームの一員として参加しました。
主にその当時のエピソードなどのインタビュー動画です。
・語り部は、Talgat Tayshanov氏(タルガット・タイシャノフ/当時のカザフスタン国立芸術大学映像部長)です。
※氏はDK Media Worldの動画シリーズ"ミッション Daididau"にもご出演なさっています。
◆オリジナル動画(2022.6.16アップ )は日本語書き起こしの末尾にあります。
【以下 日本語書き起こし(長文)】
"Dimash adventure in Сannes"
皆さんこんにちは。
本日はTalgat Taishanov氏へのインタビューを放送致します。
本日のゲストのTalgat Taishanov氏は、カメラマン・ドキュメンタリーフィルムの監督であり、カザフスタン国立芸術大学(KazNUA)で、撮影やテレビ放送に関して教鞭をとられており、また、私達が制作した “ミッションDadidau” のドキュメンタリーにもご出演頂きました方でもあります。
👩:こんばんわ。
DK Media WorldのOlgaとNatashaです。
本日は、Talgat氏も参加されましたカンヌ国際映画祭に関しての質問を中心に行いたいと思います。
これはDimashも参加したものです。
まずは最初の写真を見て、Talgat氏にコメントをして頂きましょう。
T:まず皆様にご挨拶を。
DK Media World、そしてみなさん、こんにちは。
皆さんと交流できてうれしく思います。
特に今日はカザフの有名歌手Dimash Qudaibergenについて語るということで、嬉しく思っています。
👩:ありがとうございます。
ではまず、この写真についてお話しください。
場所、何をなさっていたかなどを教えて頂けますか。
T:これは2017年のフランスのカンヌで、カンヌ国際映画祭を行っていた場所です。
我々の後ろには映画祭が行われていた場所が映っています。
Dimashは(カンヌに)到着したばかりで、そこで合流しました。
我々の代表団がちょうど(会場から)外に出て、記念撮影をしているところです。
代表団も写っていますね。
T:向かって左側が海で、後ろが会場です。
T:これはちょうど近くのレストランへ夕食に行くところでした。
T:カザフスタンのパビリオンは、カザフスタン国立芸術大学(KazNUA)のAiman Kozhabekovna学長の主導の下行われ、私は大学の映像部門の一員として、このパビリオンをまとめる責任者でした。
👩:どのようにしてDimashがこの映画祭に参加することになったのでしょうか?
Talgatさんはこのパビリオンの責任者だったということですが。
T:我々は責任の範囲を明確にしていました。
他の人達がパビリオンを担当していて、私はKazNUAの映像・TV部門チームのまとめ役でした。
我々の仕事は"そこで起きたこと全てを記録(撮影)する"というものでした。
私には教師1名、学生1名のアシスタントがついていました。
そこで写真やビデオ撮影を行うのです。
T:Dimashは中国 長沙での番組 <歌手> のコンペティションで良い成績を収めた直後にそこに到着しました。
彼が疲れてやつれているのが(写真で見ても)わかるでしょう。
T:しかし、彼は(参加を)喜んでいましたよ。
彼も我々の代表団の一員、"KazNUAの学生"としてカンヌ国際映画祭に参加しました。
彼はすでに世に知られ始めていたので、彼が我々の代表団の一員であることは重要でした。
👩:それは何月頃でしたか?
T:あれは5月でしたね。
カンヌ国際映画祭は毎年5月に開催されていましたから。
👩:それでは(Dimashの参加は)コンペティションから帰ってすぐのことだったのですね?
T:彼は4月に中国でのコンペティションから(カザフスタンに)帰って来ました。
それから(カンヌに)行ったのです。
私は自分のグループと少し早めに現地入りしていまして、Dimashは後からやって来ましたね。
映画祭が始まると我々は映画とカザフスタンの文化の展示を行いました。
その夜は我々のアーティストやスター達が公演を行ったのです。
その時はAiman Kozhabekovna校長も大学の楽団と一緒にバイオリン演奏をされました。
そこにはDimash Qudaibergenもいました。
👩:大学の代表団は、大所帯だったのですか?
T:それほど多くの人数ではありませんでした。
当然我々も学生をたくさん連れて行きたかったのですが、予算の関係でそれほど連れてくることができなかったのです。
T:この写真の左側には堤防がありましたよ。
他の国のパビリオンもありました。
向かって左側を歩いているのがカザフスタン国家芸術家であり世界的に有名なバイオリニストのAiman Kozhabekovna Musakhodzhayeva校長、そしてDimash Qudaibergenです。
彼らはちょうどカンヌ国際映画祭のレッドカーペットを歩いてきたところでした。
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T:(先ほどの写真の)後ろに見える会場で我々は(遅れて到着したDimashと)合流しました。
そこで彼らを撮影したのです。
👩:そこに映っているパビリオンはいろいろな国が出展していたのですか?
T:はい、様々な国から出展されていました。
👩:他の国の代表団とも交流されたのですか?
その中でどなたかと親しくなりましたか?
T:勿論です。我々はただ休暇を過ごしたり、自分たちの展示だけをしたり、散歩をしたりするために行ったわけではありませんから。
我々は国を代表してパビリオンでやるのですからね。
彼(Dimash)にもしっかりとした任務がありました。
我々にはそれぞれの仕事がありましたから。
まず(我々に)興味を示している世界の監督や映像作家全てを我々のパビリオンに招きました。
そこではカザフスタンの映画の紹介を行い、興味を示す映像作家はここでカザフスタンという国やその映画について知ることができるのです。
それに加えてこのカンヌ国際映画祭には様々なイベントが催されていました。
それぞれの国が様々なイベントをやっていましたので、我々も見学できましたよ。
そこには(我々と)近い文化を持つ団体もありましたが…基本的には問題はなかったのですが、"言語の問題"が生じたのです。
私は日常会話はできるのですが、映画についての討論となると難しいものがありました。
ですから、ロシア語を話せる人か通訳がいるところを回ることにしました。
我々はスクリーニングと映画市場に時間をかけましたね。
👩:それは専門的にも有意義なイベントだったということですか?
カンヌ国際映画祭には毎年参加なさっているのでしょうか。
それとも今回だけだったのでしょうか?
T:大事な質問ですね。
先に、"有意義だったか"というご質問にお答えしますね。
このカンヌ国際映画祭には我々の学生を参加させました。
参加させて良かったと思います。
フランスの映画学校やプラハやニューヨークのフィルムアカデミーを回りました。
とてもよい交流ができたと思います。
👩:よろしければ、次の写真をお見せしたいと思います。
国際パビリオンとDimashのご両親(の写真)です。
T:興味深い旅でしたね。
この旅の前には、Dimashのご両親のことは私は存じ上げませんでした。
SvetaさんとKanat Aitbaevさんです。
アスタナからはモスクワ経由で(カンヌへ)行ったのですが、ニースへの乗り換えのためのモスクワの空港でKanatとSveta Aitbaev夫妻と出会ったのです。
それ以前には彼らとは面識がありませんでした。
ですからそれは偶然のことだったのです。
ご夫妻も"我々がKazNUAとして(同じところに)行く"と分かったようです。
そういうわけで我々はとても尊敬し合う関係となりました。
そしてニースまでの便をご一緒したのです。
出会い、カンヌまで一緒に行き、同じホテルに滞在し、話し、一緒に街を見て歩きました。
(写真の)この場所は、各国が出展している国際パビリオンがそれぞれの映画を上映したり、交流会を開いたりしているところです。
👩:全てが静かで落ち着いた雰囲気で、それぞれのパビリオンが展示をしていたのですね。
T:そうです。
ですから"国が独自の魅力を持っている"ことが重要です。
👩:次の写真を見ましょう。
ここは少し長めに見ていきたいと思います。
この(カンヌでの)写真はDimashのファンの間では有名ですが、
みなさん大好きな写真だと思いますね。
こんなに雰囲気のあるものにどうやって仕上げたのでしょう。
この場所はどこなのですか?
また、どのようにしてこんな素敵な写真が撮れたのでしょう?
T:これは素晴らしいショットですが、これにはちょっとした話があるんです。
ここには我々が夕食をとったレストランがあったんですが、とても混んでいました。
近くにビーチと遊歩道があり、夕方は涼しく、Dimashはレストランのその人混みから海岸へ出てきて、しばらく遠くを見つめていました。
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T:写真家としては、このシチュエーションはあまり良いものとは言えません。
夕陽が逆光となっている上、ディマシュは黒い服にサングラスで夕陽と反対方向を見ていたからです。
おまけに不運なことにカモメまでいて私の撮影の邪魔をしました。
初めはカモメを追い払おうと思ったのですが、Dimashのムードを壊すのがイヤでそのまま数枚撮りました。しかしやはり出来が良くありませんでした。
ですからその写真はボツにしました。
それらは長いこと私のファイルに入れたままでしたが、後で見返してみると"Dimashがコンペティションの出場のために長いこと中国に滞在して(その間)カメラから逃れられずにいて、痩せてしまっていた"ということに気が付いたのです。
彼はこの時、その(中国での一連の)忙しさから解放されていたのですね。
私はその瞬間を記録に収めたのです。
👩:この写真のポイントは"Dimashのムード"ですよね。
ニースに行かれたことがある方はお判りだと思いますが、特にカンヌ国際映画祭の期間中は自由な場所(人のいないところ)などないのですよね。
にも関わらず、Dimashが"一人で"たたずんでいるところを上手く捉えていらっしゃる。
T:このポーズには数分間でいろいろなことを考えて、この構図になりました。
カモメは全然去ってくれませんでしたけどね。(笑)
👩:とても美しい写真ですが、少し寒かったのではないですか?
T:泳いでいる人もいましたよ。
周りの人が(傍を通るのを)遠慮して下さって、この写真を撮ることができました。
カンヌ映画祭は本当に人で混雑していましたね。
特に夜の通りは賑やかでした。
👩:この映画祭はどのくらいの期間開催されたのですか?
Talgatさんはどのくらい滞在されたのでしょう?
Dimashはどのくらい(の滞在)でしたか?
T:私は2016-2019年にこの映画祭に参加しました。
期間は1週間か、長くて2週間です。
仕事をまとめ、プレゼンテーションやスピーチをし、チームと一緒に “カザフスタンの映画の夜” を興行するということは私にとっては非常に大切な仕事でした。
それが終わると自由時間が持てるのです。
学長と私はカザフスタンでは大変忙しいので、なかなかそういう時間は持てませんでした。
T:Dimashの滞在は短いものでしたよ。
我々のパビリオンでは文化会が行われました。
そこに様々な方々をご招待していました。
その後、Dimashがプロジェクト(パフォーマンス)を終え、ミーティングに参加しました。
それが彼と(カンヌで)会った最後でしたね。
👩:(カンヌの参加が<歌手>の)コンペティションの後の最初の旅行だったのでしょうか?
コンペティションの後ということで、Dearsやファンなどがいて、彼は有名になっていたのでしょうか?
それともまだ彼はそれほど知られていませんでしたか?
T:2017年は彼にとっての初めてのカンヌだったので、それほど宣伝はしていませんでした。
そのため最初はDimashも落ち着いて街を歩くことができていましたね。
"カザフスタン文化会の夜"では、
ワインやシャンペンを片手に我々の国のアーティスト達のパフォーマンスを観ながら商談をしていた"それまでDimashを知らなかった参加者たち"も、彼がステージに上がり歌い始めた途端に静まり返り、歌い終わるとスタンディングオベーションとなりました。
T:こうして彼らはDimashを知ることとなったのです。
T:しかしながら、ここで彼らはまだ “本当の” Dimashの実力を知ることはありませんでした。
Dimashが歌ったこのステージはコンサート仕様ではありませんでしたので、歌唱には向いていませんでした。
それにも関わらず、Dimashは曲の第一声から観衆全員を魅了したのです。
T:誰一人として(他の事を)しゃべる人はいませんでしたね。
(会場にいた)みなさんがステージの方へやって来ました。
T:観衆がどのような顔をしてDimashを見ていたか、どのようなリアクションをしていたか、携帯電話で録画していたか、が分かる写真があります。
👩:それは興味深いですね。
T:これがDimashにとっての新たな一歩となりました。
それ以前は、彼は"学生という身分"でパフォーマンスをしていました。
違った方向性でやって来ていたのです。
そして、これが新たな"スターとしての地位"を得たのです。
👩:学生としてのDimashについては今後Talgatさんとは更にお話していくことになります。
"成功以前は彼も学生だった"というのも面白いエピソードだと思いますね。
T:私はいつでもカメラを持参していますので、たくさんの写真を撮ります。
我々の大学で学生絡みで起こったことは、私がいればほとんど撮影しています。
記録の為の撮影は私にとっては日常茶飯事であり、人生の一部なのです。
カメラなしでは私は、外出はしません。
携帯を忘れることはあってもカメラだけは忘れないのです。
T:この時(写真)の、Dimashがパフォーマンスをしたところは"正式に歌える場所"ではなかったのです。
Dimashは黒いスクリーンの前で、白い壁の後ろに立っていました。
それでも美しくパフォーマンスをしましたね。
T:ちなみに、最初の頃私はよく彼と国外に出向いていましたが、彼の忍耐力には驚かされましたね。
例えば、ここ(会場)に来た時、私は少し不機嫌でした。
主催者に「あなたたちはステージを作っていますが、Dimashだけでなく我々の大使や学長がこのステージで公演(講演)をするのだから、彼らの顔にもちゃんと照明を当てて、その人がキチンと見えるようにしなければなりませんよ」と言いました。
背後には大きなスクリーンがありました。
それにサボテンが意味もなく置いてあったり…。
私は常にそういうものを躍起になって取り除いていましたが、Dimashは落ち着き払っていましたね。
T:彼はステージに上がり、誰にも文句ひとつ言わず、彼の周りにあるもの全てが ”そういうものだ”(あるがまま) という感じでした。
彼は音楽とリスナーと共にいたのです。
他のものは彼には何も必要なかったのです。
T:恐らく大海の中であろうが砂漠の中であろうが、世界のどんな状況にあっても彼は同じで変わらないのだと思います。
彼はそういうイメージを創り出しました。
そんな彼にはいつも驚かされます。
彼は自分のパフォーマンスに没頭することができるのですね。
自分の周りで起こっていることに全く影響されない術(すべ)を持っているのです。
👩:Talgatさんはさきほど「Dimashのカンヌでの行程を見てきて、"彼は新たな立場(スター)としてパフォーマンスをした"」とおっしゃいましたが、それ以前に彼が"学生として"一緒に国外に赴いた時と比べて、観衆の反応になにか違いを感じましたか?
それとも変わらなかったでしょうか?
T:Dimashが学生としてパフォーマンスをしたのはセルビア、スロベニア、オーストリアその他の国々でした。
いつも観衆は彼へ賞賛を贈りましたし、中国でも同様に、拍手と大歓声を受けました。
しかし、中国での経験を経てカンヌへ最初に行った時(2017年)、彼はまだ知られてはいませんでした。
その次の年に訪れた時は、状況は一変していましたね。
観衆は彼を引き留め始めたのです。
後ほどその写真をお見せしますね。
2018年にカンヌへ行きました時はDearsも来ていましたが、出待ちをしているのは5~6人程度でした。
彼らはボディペインティングをしていましたね。
Dimashのお父さんのKanatさん含む我々代表団…Dimashにとってもですが、そういう方々がカンヌまでやって来てDimashのことを待っていてくれるというのは非常に素晴らしい体験でした。
👩:<歌手>出演後には、中国のスタイリストやプロデューサーの多大な努力で、彼は大きく変わりましたよね。
あの数か月に及ぶ緊張した仕事の日々で彼は飛躍的に成長しました。
そこで彼のステージのやり方とかそのほか、何か違いに気が付いたことはありますか?
Talgatさんはその(番組の)前後を見てこられていますから。
T:Dimashが学生として大学に来ると、映像・TV部門には必ず立ち寄っていましたから、よく知っていました。
その頃の彼の印象は、"長髪だった"ことですかね。(笑)そんな感じでした。
T:しかし、<歌手> に出演してからは、そのイメージが全く変わりましたよね。
彼はよりスタイリッシュになりました。
スタイリストとコーディネーターさんの努力の賜物だと思います。
それによりDimashの外見は激変しました。
彼らはダイヤモンドの原石を磨き上げたのです。
全くの別人のように。
T:私が言っているのは、(あくまでも)外見の話ですよ。
Dimashの中身は、全く変わってはいないのです。
2017年以降も彼と会っていますが、彼はそれまで同様にオープンで誠実なままでした。
彼は私以外の他の教師や学生達にもそうなのです。
彼が学食の椅子に座って昼食をとっているのを見た時は驚きました。
私が学食を通りかかった時、"世界的なスターになっているあのDimash"がそこに座っていたのですよ。
その時私はカンヌ国際映画祭のポスターを持っていたのですが、(Dimashのサインをもらおうと)サインペンを取りに走りました。
学食に座っていた人達に謝りながら駆け寄りました。
そしてそのポスターを広げたのです。
そこにいた人たちは笑い出しましたね。
「教師が学生にサインを求めるなんて」とね。
私が(Dimashの)サインをもらうと、みんな笑っていました。
Dimashは「ええ、"サインをもらいに来た"っておっしゃるんですよね」と言ったのです。
私は「食事中にごめんね」と言いましたよ。(笑)
こんなにもスターなのに、彼は変わらず誠実だから、Dearsは彼が大好きで彼を大事に思い尊敬するのだと思いますね。
彼は国外だけでなく国内でも、その年齢(若さ)にも関わらず、敬意を受けています。
彼は【"人間がこうあるべき、という人"そのもの】なのです。
これは重要なポイントですね。
だからこそ彼は愛されている、その誠実さでカザフスタンでも尊敬されているのです。
👩: これも2017年の、素晴らしい家族写真をご覧下さい。
T:これもいい写真ですね。
Dimashがスピーチを終えると、人々は “あの” Dimashが自分たちの目の前に立っている、ということで、彼に寄って来て写真を撮ろうとしたのです。
ですから “両親と息子” という家族の(この)写真を撮るのは大変だったのですよ。
Dimashが疲れてやつれてしまっているのが見てわかると思います。
にもかかわらず、どうやってあの日の夜、彼はずっと人々と話をして交流ができたのかわかりませんよ。
彼はその夜はずっと我々と一緒にいました。
お母様とお父上のKanatさんも愛する息子の隣で嬉しそうで、また誇らしげでしたね。
この家族写真は私が撮影したものです。
👩:もう一枚。
T:左側にいるのはRashid Musaevich Nugmanovさんで、カザフスタンの有名な映画監督です。
Viktor Tsoi氏と<The Needle> というカルト映画を監督した方です。
Rashid さんはフランス国籍をお持ちで、国立映画芸術学院の学長で、このカンヌ国際映画祭を仕切っていらっしゃいました。
私は彼のチームで働いておりました。
私の責任範囲は、我々の代表団の取りまとめとプロジェクトのプレゼンでした。
みなさんKanatさんとDimashのことは知っていますよね。(写真の説明)
そして一番右側にいるのがDimashの(当時の)プロデューサーのAlpamys Sharimov君です。
この人たちが我々のパビリオンでカザフ映画とカザフ文化を紹介してくれたのです。
👩:私にとってこの写真は2つに分かれて見えています。
中央のお二人とサイドにいるお二人(笑)
生真面目な雰囲気の中央の二人と、傍でリラックスしているお二人。
面白い雰囲気の写真です。
T:面白いですよね。(笑)
👩:これは、お二人ともリラックスして微笑んでいらっしゃる。
T:そうですね。
👩:Dimashとは良い関係でいらっしゃるのが分かりますね。
T:お互いに尊敬し合っている関係です。
Dimashをたくさん撮影してきました。
何故かDimashがパフォーマンスをしている時は写真を多く撮ってしまうのですよね。
(私を含め)人は、彼に魅了されるのです。
彼にこれほどのエネルギーが漲っていなければ世界中のDearsがこれほど多くはなっていないと思いますよ。
彼は微笑み、ハグをする。
彼がハグをしたり “Hello” と声をかけるのは、その場しのぎなどではありません。
彼が「こんにちは。お元気ですか?」というのは、本当にその人のことを自分の家族のように気にかけているからなのですよ。
こういうことがありました。
彼が私に"リハーサルは撮影しないで欲しい"と言ってきたので、その時は撮影しませんでした。
でも、何故?これが私の仕事なのに。
大学でも、自分のスマホで彼を撮影していたら、彼が"そのビデオは公開しないでください"と言ってきたんです。ですからそのビデオは公開しておりません。
しかしながらKanatさんには"いつか使えるかもしれないから"と言ってそれを送りましたよ。
それは私の携帯に保存している限り、それがどこか要らないところに流れるかもしれないので"私の携帯を使って撮りました"と言ってKanatさんに送ったのです。
敬意ある関係だから、ということです。
👩:【リハーサルを撮影したり、公のところに掲載することはしないで欲しい】ということに関してDimashはその理由を説明してくれましたか?
T:他の人がそう言ってきたなら私は「これは私の仕事なんですよ」と反論しますよ。
Almatyからカンヌまでどれだけ遠くから飛んできたとお思いか?
ただ観光をしに来ただけなのではない、私の仕事は"撮影すること"なのです。
ですが、Dimashがそう願った時は、私もそんなふうには考えませんでした。
しかも彼にその理由も尋ねたりもしませんでしたね。
更に言えば、(先ほど他の人に言ったように)「撮影するためにここにきたのだから」などとも反論しませんでした。
👩:教師が学生と特別な(信頼)関係が持てるというのは興味深いことですね。
説明することもなく自分の任務を遂行する。
T:これが私の仕事なので。
それで人々が私を出張までさせてこの仕事をさせてくれているのですから。
リハーサルの時に面白いことがありました。
作業の人達が"音を入れる"とか"照明を退ける"などと言っていたりするのは、見ている人の興味をそそるものです。
舞台裏をのぞくことで、コンサート(公演)が更にわかり易くもなりますから。
それが"ショー"というものですし。
照明で全てが輝き、炎、火花があって、“その人” が現れて歌い出す…。
"どんなことが観衆の前で行われているか"というのは興味をそそります。
ですから、私の学生には"リハーサルをもっと撮影するように"と言っています。
👩:制作過程というのは面白いですものね。
私達が制作した “ミッションDaididau” も、コンペティションでたった5分の一人のパフォーマンスの為に、どれだけの人々が衣装・メイクアップ・技術・リハーサルなどでどのような努力をしてきたかをお知らせすることができて、視聴者の皆さんから感謝していただきました。
"あの素晴らしい5分間を創り上げるのが如何に大変だったか"ということが分かったと思います。
T: “ミッションDaididau” で思い出しましたが、長年映画やテレビの仕事に携わって来た私から見ても、あなた方のあの特集はとても誠実に作られていたと思います。
私自身も(あれを観て)いろいろ知ることができましたし。
私はあの時のDimashの衣装がどうやって準備されたのか、どうやって彼のところまで届けられたのかという事情までは知りませんでしたから。
T:自分の部分は知っていたのですが、ミュージシャンたちがどうやって(中国まで)やってきたのかなども知りませんでしたし。
というのも、私は最後にあそこに到着しましたからね。
T:ですからあの特集は、とても優秀で誠実なものとなっていましたね。
とても素晴らしいものでした。
あの特集で"(<歌手2017>の)第7期の一度のパフォーマンスで彼が歌った Daididauは、多くの人が関わって出来上がったものだ"ということを見せてくれましたね。
そして、その最前線にいたのがDimashです。
T:彼がステージに上がり、ドンブラを持ち、
彼の友人達…ミュージシャン、在学生たちが後ろに座っている中、彼は一人で…。
彼の背後では本当に多くの人達が彼をサポートしていました。
T:私が中国にいた時は、みなさん私のことを何故だかDimashのお父上だと思っていたのですよね。
私が入って行くと、そこにいたDearsが拍手をして私にサインをねだるのです。
私は「ダメですよ」と言いました。最初はどういうことだか分かっていませんでしたから。
それで、彼らが説明してくれたのですが、私は更にどうしていいか分からなくなりましたね。
すると私の同僚たちが笑いながら「サインしちゃえばいいじゃないですか。どうせ彼らは誰が(彼の本当の)お父さんかなんて知らないのですから」と言うのです。
私は"後でKanatさんも来るでしょうから"と言いましたが、「彼らはどうせどっちがKanatさんだかわかりませんよ」と言われましたよ。(笑)
👩:そうですよね。
よその国ではちょっと見ただけでは見分けがつかないこともありますよね。
T:今はKanatさんのことは皆さんご存じですが、あの時はまだ私と彼が同じ人物だと思われていましたよね。
👩:そうですね。
あの当時彼らはDimashのことしか知りませんから、カザフスタン人と言えば"親戚かも"と思っちゃいますよね。
T:あれは私の栄光の瞬間でしたね。(笑)
👩:この話題はまたいつか致しましょう。
では。話題を元(の、カンヌ)に戻しましょう。
後編に続く
↓↓↓
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
↓オリジナル動画。約1時間4分49秒
Copyright © "DK Media World "
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