ディマシュ・クダイベルゲン/ Dimash Qudaibergen  

公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブ/Blog by Dimash Japan Fan Club Official

【書き起こし】ディマシュ 母国でのインタビュー/2019年7月

・本記事は、2019年7月 カザフスタン国営テレビで放送されたディマシュのインタビューの日本語書き起こしです。

・2019年、数年ぶりに自国テレビでの本格的なインタビューを受けたディマシュ。

小さい頃の事・家族について・恩師について・音楽の方向性について・歌手2017の頃のこと・自分の声帯について・コンサートについてなど、盛りだくさんの内容です。

・公式動画(約40分)は書きおこしの末尾にあります。

 

以下 日本語書き起こし(長文)

 

Dimash インタビュー 2019.07.01

👩:視聴者の皆さん、

こんばんは。

私が持っているこの絵をご覧いただくと、

これは"子供の落書きだ"とお思いになりますよね。

👩でも、よくご覧くださいね。

これは"大きな夢を叶えた切符"なのです。

👩これを描いたのは、今や"全カザフ国民だけでなく全世界をも その歌で魅了した人物"です。

彼の声域は音楽的には5~6オクターブと言われています。

そうです、本日のゲストはDimash Qudaibergenさんです。

D:こんばんは。

👩:ようこそ!

D:(僕の紹介が)盛り過ぎだと思いますけれど…。(照笑)

👩:(笑)

来てくださって嬉しいです。

このインタビューを準備していて気づいたのですが、ここ3年ほど国内テレビのインタビューを受けていないですよね。

D:そうですね。

👩:今回私達のインタビューをあなたは受けてくれました。

D:はい。

👩:それって、カザフスタン国営テレビ局への特別待遇だと思っていいのでしょうか?

D:勿論です。

何年もインタビューを受けてこなかったのは、ずっと国外で活動していたからということです。

👩:ミンスクから昨日お戻りになったばかりですよね。

第2回(2019)ヨーロッパ競技大会の開会式に出演していらっしゃいましたね。

youtu.be

👩あなたのインスタグラムやアンナ・ネトレプコさん(ロシア出身のオペラ歌手)のインスタグラムを拝見しましたが、あなたがステージに立っていた時、ステージ裏にいらっしゃったイーゴル・クルトイ氏がアンナ・ネトレプコさんに「これは私が最近作曲したものだよ」とおっしゃっていました。

👩そしてどなたかがアンナ・ネトレプコさんに「Dimashについてどう思いますか?」と書き込んだら、アンナさんは「独特な声を持っていて、才能ある人」と返事をしていましたよ。

それに、あなたも以前"アンナ・ネトレプコさんは自分のアイドルだ"と書いていたと記憶していますが、そうですよね?

D:はい、そうです。

アンナ・ネトレプコさんは、彼女の芸術(歌)だけでなく、その精神的な面でもとても豊かな方です。

アンナさんのステージでのパフォーマンスを観てからは、ずっと尊敬していたんです。

小さい頃は「あぁ、アンナさんと同じステージで歌いたいなぁ」と、夢見ていました。

※その夢はこのヨーロッパ競技大会で実現

👩:(冒頭の絵を見せて)"夢"と言えば、これも夢ですよね。

この時、ご両親にはこの絵を見せました?

あなたがそんな夢を持っていたことを?

今、それは実現しましたよね!

D:そうですね。

👩:“Dimash” というCDがありますよね?(iD)

これは37秒でプラチナセールスとなりました!

D:アラーに感謝です。

👩:そうですね。

120か国でファンクラブができました。

👩(絵を指して)これはドンブラ。

これは音楽の…歌うのに必要な…

D:アンプです。

👩:アンプですね。

👩ステージには楽器も。

これはカセットプレーヤーですか?

D:はい、これはステレオです。

それにここにあるのは音響セットです。

これはギター用のアンプです。

これは ”プレアンプ” と言います。

そしてこれ(左端)が、小さい頃の僕です。(笑)

👩:あはは、あなたね。

これがDimash。

D:これは、たしか3~4歳の時に描いたものです。

あの頃は、ステージに立った時の楽器や ステージの様子を、しょっちゅう描いていました。

👩:最近は、よく心理学者やビジネスコンサルタントなどが"自分を肯定すること"や、"夢を描くこと"を勧めますけど、3歳のDimashはすでにそれをやっていたのですね。

D:(照れ笑い)

👩:だからこそ今ではあなたはこんなに大きなステージを掌握できたんですね。

その夢の一つがビデオに残されていますので、一緒に見てみましょう。

ミニDimash/13歳のビデオ※カザフスタン独立15周年祝賀番組より)

Mini D:"ボクの夢は、たくさんあります。

でも一番大事な夢を言うなら、この国の人々が平和で知識豊富であることです。

そしてカザフスタンの国民の利益のために貢献することです。

それにはボクがカザフ国民にとって良い影響を与えられる良い国民になることで、それがボクの一番の夢です。"

👨:すごいね!

君の夢を叶えるための"お手本になる人"はいるのかな?

Mini D:"自分の国に影響を与えた全てのカザフ人科学者・詩人・文学者です。

ボクはいつも詩人や作家、偉人から学んでいます。

その中のアバイ・クナンバエフさんと、カザフのヒロインのアリヤさんとマンシュクさんからはいろいろと学びたいと思っています。

アバイ・クナンバエフさんは、何か役に立ちたいと願って「言葉の本」を書きました。

それには"人々は必要なものを得、不要なものは手放すことができる"ということが書かれています。

また、アリヤさんとマンシュクさんは、20年という短い人生でしたが、ボクたちに平和な生活を与えてくれました。

そのことを一生感謝します。"

D:あぁ…。(笑)

👩:(ミニディマシュは)いい子ですよね?(笑)

D:(模範解答をして)イイ子みたいに見えてますね(笑)

 

◆◆◆

👩Dimash、大きなコンペティションがあなたのブレイクのきっかけとなりました。

この3年間、ロンドン・モスクワ・中国でコンサートをして、アメリカでも大きなコンペティションに参加しましたよね。

でも今でも2~3年前と同じで、あなたは"謙虚なDimash"のままですね。

D:あぁ、ありがとうございます。

👩:あなたの職業は “自分との闘い” だとおっしゃっていましたよね。

「自分の人生がどう変わったか」「自分が変わったか」と自問してみましたか?

D:勿論です。

毎日自分に問うています。

偉大な科学者のウマル・ハイヤームさんがこう言っています。

「幸運な人や富める人を羨んではいけない。夜明けがあっても必ず日没もやってくるのだから」と。

ですから、僕の歌手人生において今は良いことが起こっていますが、はっきり言ってこれは一時的なものなのです。

D:ある日、僕もステージを降りて、他の観客と一緒に(客席に)座ることになるでしょう。

観客と一緒に座っている時に、今まで僕と一緒に過ごしたブラザー達や僕の知らない観客には僕に温かく接して欲しいのです。

その時に、"彼らの眼を真直ぐに見ることができる人間"に僕がなっているように。

👩:そういう考え方は成功への道につながりますか?

D:成功への道を進むというのは神様のご加護が必要です。

そして僕のやっていることをいつも支えてくれる両親も。

誰にでも精神面や職業の上で教え導く先生がいるものですよね。

僕の人生の師は、僕のアイドルでもある父で、次に母です。

D:そして、子供の頃からずっと模範にしてきていた特別な方が僕にはいるんです。

1999年か2000年、4~5歳の時に、A・ズバノフ音楽学校に隣接する子供学校で音楽の勉強をしました。

D:その最初の年に

ステージに立ちました。

D:司会の方が僕のことを

「皆さんの前にいるのは未来のマラト・アイティモフです!」と紹介したんです。

D:小さい頃、自宅でマラトagaによくお会いしていました。

あの頃はみなさんお若くて、いつもクリエイティブなものを探っておられました。

その頃から"マラトagaのもとで学びたい"と願っていたんです。

マラトagaは僕の専攻の芸術教育を施してくださった以上に、人生についても教えて下さいました。

D:最近、アクトベに帰った時、マラトagaの教室を訪ねました。

その時一緒にレッスンをしましたよ。

D:最近は外国の先生にボーカルコーチをして頂いているんですけれど、その先生の前ではそんなに緊張しないのに、マラトagaの前に立つと僕はものすごーく緊張してしまうんですよね。(笑)

何故だか分からないんですけど。

D:agaは、僕にとっては特別なんですよね。

 

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◆◆◆

👩:Dimash、あなたの"音楽の嗜好"について聞きたいのですけど…

あなたや私には分かっていることですけれど、

"カザフスタンの芸能界の(音楽の)一般的な好み、世間の嗜好"

というものがありますよね。

それから言うと、あなたは独自に"それとは全く違った音楽の方向"を選びました。

(カザフスタンの歌手のポピュラーな仕事の)結婚式で使われる曲でもなく、

エンターテイメント的な曲でもなく、

(施設などの)オープニングセレモニーや合唱する慰問の曲でもない、

本当に素晴らしい複雑な構成の曲をあなたは歌っています。

👩あなたの(音楽の)方向性ははっきりしていますよね。

あなたの元々の目標は、こういうコンテストに出場することで音楽業界や国際的な市場に入り込もうという事でしょうか?

それとも、カザフスタンに帰って他の方々のような(上記のような)仕事をしたいのでしょうか?

D:カザフスタンの諺に「夢を持たない男は森を持たないナイチンゲール(鳥)だ」というものがあります。

僕の子供の頃からの夢とそのゴールは、アラーのご加護の下で満たされるものです。

でも、"僕のやりたい音楽"はちょっと違うんです。

ポップスとかオペラとかでは区切れない、クロスオーバー、ネオクラシックというものを僕は創ろうとしています。

そのジャンルでやろうとしているんです。

👩:そういう曲で有名になるのは非常に難しいことですよね。

D:とても。

👩:ホイットニー・ヒューストンやフレディ・マーキュリー、セリーヌ・ディオンたちが選んだように。

これは大きな市場が求められますね。

そんな市場に入って行くのは本当に大変ですよね。

D:僕は自分に限界をさだめたくないんです。

ええと、レイ・ブラッドベリさんが素晴らしいことをおっしゃっています。

「17歳の時に全てが分かっていて、27歳でも全てを分かっていると言うなら、君はまだ17歳のままだ」と。

ですから、10年後のDimashは今日のDimashと同じであってはいけないんですよね。

自分の知識(技術)を向上させるために、毎年努力しなければならないんです。

20年以上僕は音楽教育を受けて、そして今僕は25歳です。

 

◆◆◆

👩:あなたの言葉を引用してみましょう。

Slavic Bazaar(2015年)から凱旋した後のインタビューなどで、あなたは

「僕は自分で構成を立てて、自分で戦略を考え、そして自分を魅せるのです」と言っていますよね。

D:(照れ笑い)

はい、“音楽プロデュース” ということはありますね。

僕の歌う楽曲や作曲では、曲の前半では低めの音で、中盤にはダイナミックに、そして終盤でクライマックスを迎えるんです。

そういうことを僕が全部自分でやります。

間奏部分で楽器的なメロディーが要ると思えば、僕が(その部分を)少し創ります。

D:その上で、僕の友人のアレンジャーで素晴らしいブラザーのErlan Bekchurinには感謝しているんです。

彼は、僕の描いたイメージをそのままに再現してくれるんですよ。

それはものすごいスキルが要ることなんです。

 

◆◆◆

👩:Dimash、あなたは狭い声域から4~5オクターブまで声を広げましたけれど、

これは生まれた時からのギフトで声帯が(最初から)そうだったのか、それとも毎日(筋トレのように)努力したからできるようになったのか、どちらなのでしょうか?

その奇跡、マジックの秘密を明かしてもらえませんか?

D:「1%の才能と99%の努力」とよく言われますが、努力を通して人は向上し、努力を通して人は成長するものですよね。

それでも第一には生まれつきのものがあります。

アラーが与えて下さったものを僕たちは毎日毎日訓練して成就すべきなのです。

これ(歌うこと)は、大いなるスポーツです。

👩:でも努力したとしても誰でもが3オクターブまで出せるものではないですよね。

3オクターブとか4オクターブ出せるようになったのは驚きですか?

「あ、今日はまた更に高い音が出せた!」というような瞬間があるのですか?

それともある日突然4オクターブが出るようになっていたのでしょうか。

D:いいえ、勿論、声は天性のものです。

でも何度も繰り返す発声練習の賜物でもあります。

更に3音高く、3音低く、と。

👩:それはMarat Aitimov氏のもとで、ですね?

D:そうです。

👩:これがカザフスタンの音楽学校の良い所ですね?

D:そうです。

👩:あなたが出せる低音はどこまででしょう?

D:覚えていないんです。

いつも(その時その時で)違った感じです。

👩:違っているんですね。では高音は?

D:いつも違います。

👩:"秘密"ということですね。

D:そうです。

(高音ビデオの数々)

D:人々は僕の声が6オクターブとか5オクターブとか議論しますが、あまりその事にばかり注目して頂きたくはないんです。

D:僕にとっては、それは、単なる(歌う為の)道具にすぎないんですよね。

僕の主目的は"人々を毎日の生活から少し離れたファンタジーの世界に連れて行く"ことなので。

 

◆◆◆

👩:Dimash、ファーラービーさんは「音楽は純粋な数学である」と言っています。

あなたは"大きなコンペティションで主導権を握るために他の出場者を完璧に研究する"という戦略をとっていて、それで彼らの弱点なども理解しなければなりませんよね。

どういうところで彼らより抜きんでるのか、自分の弱点を知る所から始めるのでしょうか?

👩あなたはSlavic Bazaarに出場する前に、ビテブスクに行く予定の出場者たちの全曲を知るという同じ戦略を使いました。

D:はい。

👩:「彼の後に歌うなら、僕のここを見せた方がいい」とね。

あなたが言っていたように「適切なポイントで僕の声の一番いい所を魅せないと」ということですよね。

それでなければダイヤモンドはずっと同じような輝きは放てない、という。

👩そういう意味では、このようなコンペティションに出場しようとしている若い人たちにはどういうアドバイスをなさいますか?

どう準備をすればいいのでしょうか?

D: “ボーカルトレーニング” という考えはあります。

👩:声を鍛える必要があるということですね。

D:そうです。

コンペティションに出場するどの歌手も、ステージに上がる者は

「自分は国を代表してコンペティションに出場する価値のある人間か?」

ということを自分に問う必要があると思っています。

その自問を毎日できれば、きっと前に進めると思いますよ。

D:あの有名な、偉大な世界一のテノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティさんですら、70歳を過ぎても一生をかけてボイストレーナーについて練習をされていたんですよ。

僕たち歌手には “自分以外の耳” (で聴いてもらうこと)が必要なんです。

人は…歌手というものは、自分の声を自分の耳では正確には聴き取れないものなのです。

自分では常に美しく聴こえてしまうんですね。

👩:一日何時間練習するのでしょう?

D:3時間です。

👩:どなたがそれを聴くのですか?

D:中国にボイストレーナーがいます。

その方はアジアやヨーロッパの大スターもトレーニングしている方です。

 
 
 
 
 
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D:僕はその方にレッスンを付けて頂いています。

でも時間的に足りない場合は自分でピアノを弾いてキーを取り、練習しています。

 

👩:Slavic Bazaarであなたにグランプリを手渡したアゼルバイジャンの有名な歌手Polad Bülbüloğlu/ポラド・ブルブログル氏が

「カザフスタンの少年はまさにユニークだ!

彼は素晴らしい低音、中音、そしてアルティノという3人分の声を持っている。

これは非常に稀な声だ。

そしてその3人分の声を彼はとてもプロフェッショナルに使いこなしている。

未来のスターであることは間違いないね」とおっしゃいましたね。

あれは2015年でした。

👩Polad Bülbüloğlu氏がアゼルバイジャンの民間の聖歌を歌った時は、彼もまた高音と低音、深い声や柔らかい声でナイチンゲール(鳥)のように歌いました。

ナイチンゲールさんと呼ばれるわけですよね。

D:そうですね。

 

◆◆◆

👩:もう一つ質問です。

トレーニングということで言うと、あなたがやってきたテコンドーや水泳はあなたの肺を鍛えたり、ボイストレーニングに必要なテクニックを使うのには役に立ったのではないですか?

D:勿論です。

若い頃に3~4年くらいテコンドーをやりました。

もう少しで赤帯まで取れるところまではいったのですが、その頃は時間が足りなくて、スポーツか音楽のどちらかを選ばなければなりませんでした。

とにかく時間がなかったのです。

それに、身体の調子も今一つになってきたので。

👩:健康的に調子が悪くなったということですね。

D:はい。

それで(テコンドーの)練習は辞めました。

D:5歳の頃からだと思うのですが、水泳をやっています。

泳ぐのは大好きなんです。

どの国、都市に行っても泊っているホテルのプールに行くようにしています。

D:そうやって訓練しようとしています。

歌うことは純粋なスポーツですからね。

純粋なスポーツですし、純粋な数学です。

音(声)を出すのには息を横隔膜に送り込んで、そこから大きなハリケーンを起こすんです。

人体には“共鳴腔” というものがあって、胸腔、それから、顔(咽頭腔、口腔、鼻腔)、頭…。

👩:額のところに。

D:はい。

ですから、声(息)を、その共鳴腔にちゃんと送り込まなくてはならないんです。

👩:パイプみたいな感じっていうことですね。

D:そういうことです。

例えば、化学実験のように、それが勝手に上がって来るような感じですね。

同じ原理で息を上げて空気は上げるのですが、肩は上げてはいけないんです。

(声を出すための)決まり切った鉄則なんです。

毎日その部分の筋肉をトレーニングしないといけません。

 

◆◆◆

👩:では、世界的な音楽産業についてお話ししましょう。

あなたはこの国を出て、(中国の)<歌手> という番組に出演しましたね。

番組では一番に歌唱し、心から歌い、(あなたがどんな歌手かもわからずにいた)観客の心を掴みました。

あなたのパフォーマンスは素晴らしく、みんなが忘れられないものとなりましたよね。

口火を切る役としてこれ以上にない力で(人々の心に)入り込みました。

そこで今、あなたの周り(市場)が変わり始めました。

世界の音楽産業へと。

どのように変わっていったのでしょう?

D:<歌手> という番組は僕が通って来た特別な道の一つの区切りで、忘れられない時期となりました。

dimashkudaibergenjapan.com

D:このコンペティションの初日にステージに向かう前、特に頑張って準備をしました。

すごく緊張していたんです。

というのも、それが20億人の視聴者にお見せする"最初のもの"でしたから。

D:みなさんが

「カザフスタンからやって来た歌手です。どんな歌手でしょう?どれほどの歌手なのでしょう?」

と言うものですから、

"それに見合う価値のある歌手であるべくやらなければならない"と思い、本当に緊張しました。

youtu.be

D:全力を尽くしました。

もし僕の歌が気に入らない方がいらっしゃっても、僕を責めないで下さいネ!

👩:(笑)

D:8回戦(EP8/天亮了)の時には、体調を崩して、喉が腫れ上がってしまいました。

声が出ずに、話すことさえできなくなりました。

ですが、その日ステージでコンペティションを続けなければならなかったのです。

D:喉に注射を5本打ってもらったのですが、

声は戻りませんでした。

 

D:それでも、僕を支えてくれている大勢の人たちが期待の眼で僕を見ているんですよ。

それで集中して声を出すようにして、ステージに上がったのです。

喉は痛かったですが、歌い出したら声が出たんですよ、

しかもきれいな声で。

話すこともできなかったのに(その時は)なんと声が出たんです。

youtu.be

でもステージを降りたら、また声が出なくなっていました。

これは"アラーの神のお陰だった"と信じています。

 

◆◆◆

👩:その後はすごい数の契約がやって来たのですね。

「サインして!迪玛希!」と言われて、あなたは人気者になったのですね。

「これからどうしたらいいのか?」「こんな感じなのかな?」と思ったりしましたか?

D:あの時の僕の気持ちは、言葉で表すのは本当に難しいですね。

2017年の1月21日に初回の放送があったのですが、その1~2日後には中国のインスタグラム(Weibo)、SNSでは数日合わせてで6億回の再生回数がありました。

D:その時はよく分かっていませんでしたが、放送の翌朝起きると、マネージャーがやって来て「Dimash、おめでとう! わぁ、すごいよ!」と言い始めたんです。

僕は、彼女が

"ちょっと大げさ過ぎる"と思い、

気に留めていませんでした。

D:次の回の準備で頭がいっぱいだったというのもありますし。

<歌手> という番組は、舞台裏も撮影していたんですよ。

僕たちチームはドキュメンタリー撮影で市場へ出かけました。

👩:"Dimash市場へ行く" ですか?

D:はい。

👩:"自分が有名になった"という風には感じなかったのですか?

D:僕たちがドアから出たら、そこには、こんな(イカツイ、ガタイのいい)ボディーガードさん達がいたんです。

「なんで彼らが(僕に)必要なの?」と思ったくらいでした。

(彼らのいる理由が)全く分かりませんでした。なんのために?と。

D:不思議に思いながらボディーガードさんを見ると、彼らも不思議そうに僕を見つめ返しました。

お互いに見つめ合いました。

そして、お互いに戸惑っていました。(笑)

D:そして(撮影のために)車を降りた時、数名のapa(おばさま)たちが走り寄って来たんです。

僕(迪玛希)だと分かったようでした。

人々が集まって来ました。

その時最初に僕を見つけてくれたかたの顔は、今でも覚えていますよ。

👩:今でも覚えているんですね。

D:覚えています。

(駆け寄られたその時は)ちょっビビりました。

「僕、何かやらかしたのか?」って。(笑)

👩:最初の"Dear"だったのですね。

D:そうです。

それから人がどんどん集まって来て、お祝いの声をかけてくれたんです。

それで(初めて)「おぉ、何かが起こったんだな」と思いました。(笑)

👩:「僕が何を起こしたんだろう?」とね。(笑)

D:はい。(笑)

 

D:それからは毎日がリハーサルです。

番組の <歌手> が僕の日常になりました。

ある時リハーサルから家に帰って来ると、僕の女性のマネージャーが電話で誰かと話していました。

彼女の目がみるみる大きくなり「OK、OK!」と言い、それから彼女は電話を切りました。

僕は座ったまま気にしていなかったんです。

ただ「外国の人たちが僕のことを知ってくれるなんて!」ということを考えていました。

「迪玛希! 明日、ジャッキーチェンさんとお会いできるんだよ!」とマネージャーが言った時、僕は(聞き飛ばして)「あぁ、OK、OK」と座ったまま答えました。

👩:"明日、ジャッキーチェンに会えることになった"と。(Dがこの部分を英語で言ったので、カザフ語にしたと思われる)

D:そうなんです。

僕は彼女の顔を見て座ったまま「OK、OK」とだけ言ったんですが、

10秒ほどして…

D:はじめ"彼女が何を言っているか"理解していなかったのですが、

(10秒後に)

えぇ?!(驚/喜)」と。

D:彼女の言っていることの意味がわかるのに、

10秒もかかりましたよ。(笑)

D:小さい頃から"この方と握手をしたい"と、夢見ていました。

👩:(絵を見せながら)まさに私達が話していたことですよね。

"夢は叶う"と。

D:そういうことです。

D:翌日ジャッキーさんに会えるということになって、マネージャーが「ジャッキーさんは君に特別なプレゼントを用意しているらしいよ。彼は君のパフォーマンスを本当に気に入ったんだって」と教えてくれました。

D:僕の心臓はもうドキドキして

「僕はジャッキーさんに何を差し上げたらいいんだろう?」と考えたのですが、リハーサルから戻ったらもう夜で遅かったんです。

カザフの物はそこでは手に入らないし…。

👩:プレゼントということですね。

D:はい、プレゼントです。

「北京のどこで(カザフの)プレゼントが手に入るんだ?」ということで、すぐに両親に電話を掛けました。

「明日ジャッキーチェンさんに僕お会いするんだよ! ジャッキーさんに招待されたんだよ!」と言ったら

オーマイガー!何を言ってるんだ?という声がしました。

D:(電話のむこうで)親戚一同が(このことで)大騒ぎしてたんです。(笑)

※ディマシュ家は一家でジャッキーチェン氏の大ファン

D:僕たちはどうしていいかわかりませんでしたが、中国にはウルムチという所があって…

👩:そこには中国のカザフ族が生活しているんですよね。

D:そうなんです。

僕たちはそこの地区に住んでいる人と連絡を取りました。

「チャパン(カザフの民族衣装)とドンブラが欲しいんですけど、どうしたらいいですか?」と。

急だったのですが、最終的にはチャパンも見つかり、翌日ジャッキーさんにお会いするまでに、あるagaがウルムチからチャパンとドンブラを持って飛んできてくださいました。

D:そして、

いざジャッキーさんとお会いすることになったんです。

D:ジャッキーさんがスタジオでレコーディングをされている時に僕が入って行きました。

とてもシンプルで、非常に謙虚な方でした。

ジャッキーさんは僕が緊張しているのを見て「ねぇ、元気? ここにおいでよ。ほら。」と言って下さって、少し落ち着くことができました。

D:そして近づいて行って、僕からのジャッキーさんへの祝福と感謝を伝えました。

僕の子供の頃の、僕の父の、そして祖父の3代にわたって、この方の映画を観て素敵な時間を過ごせたことへの感謝を伝えたんです。

 

◆◆◆

👩:Dimashのファンは世界中どこにでもいますよね。

あなたを見る為にコンサートへやって来ます。

カザフスタンのことを知ろうとしています。

彼らはカザフ語を学ぼうとしていますよ。

これに関してはどう思っていますか?

D:芸術に壁はないのです。絶対にないのです!

人はそれぞれ違った好みがあるものですが、芸術は…簡単に言うと、万国共通のものがあります。

他の国の言語や生活様式は理解できないかもしれませんが、歌なら理解できるかもしれません。

それぞれの文化は全く違っていてもね。

ですから、"音楽は言語を超える素晴らしいものだ"と僕は思っているんです。

 

◆◆◆

👩:つい最近ティーンエイジャーでキャリアの道を歩き始めた男の子が、今ではもう25歳となりました。

カザフの伝統的な考えからすると、あなたのご両親はそろそろお嫁さんを迎えたいんじゃないでしょうか。

(D微笑む)

👩:ご両親はきっとあなたの結婚を望んでるのでしょうが、今日このヌルスルタンにいる少年は、"明日は北京、あさってはロサンゼルス"という生活で、簡単な人生ではありませんよね。

👩:お嫁さんは(あなたの)そばにいる…(それとも)家にいる…。

どうなるのでしょうね。

あなたの人生は大きく変わりましたけど。

D:僕の未来の妻は、僕がどこの国にいても、常に僕の祖父母や両親の傍にいることになるでしょう。

彼女は僕の家族と一緒に暮らすのです。

D:(家族と)離ればなれの暮らし…? ねたましくてしょうがなくなるでしょうね。

弟のマンスールに、うちの年寄り、年配者たちを任せるなんて、そんなことしたくありません。

👩::おじい様やおばあ様について、悔しい妬ましい?

D::祖父母も両親も、渡したくありませんね。
どちらも、諦めきれませんよ(笑)

(※カザフなど遊牧民族には末子相続という伝統・慣習があるため、それに従えば長男のディマシュは独立して家を離れ、末っ子のマンスールが両親らと最後まで暮らすと言う想定は自然なことである。)

D:マンスールには

早く成長して欲しいです。

D:僕たちは…

小さい頃から"家族全員、子供達や祖父母、年長者が一緒に住んで生活していくこと"が僕の夢でした。

「年長者がいる家は富に満ちている」という諺があります。

この富/財産を失いたくないのです。

でも、それと同時に弟の幸せを僕は願っています。

この富/財産を、弟にも分けてあげたい。

ですから僕は長生きしたいんです。

弟や妹、両親と、この"大家族"の家でね。

👩:素晴らしいですね。

素敵な夢です。

それが叶うことを願っていますよ。

 

◆◆◆

👩では、コンサート “Arnau” について話しましょう。

“Bastau” コンサートを開催した時、あなたはその心を捧げましたよね。

そして祝福を受け、“ここから始まった” 。

今回のこのコンサートの目的はなんでしょう?

このコンサートを開催することで祖国に何を言いたいですか?

D:国外のスタジアムではいくつかコンサートをやりました。

勿論それも素晴らしかったです。

応援してくれるファンの皆さんにはベストのコンサートをお見せしていますし、皆さんの前でお辞儀(感謝)もしています。

僕がステージの上で “Dimash” になれたこと、観客のみなさんに感謝しています。

D:…でも、"祖国、僕の家でコンサートを開催すること"は、

(僕にとって)より一層大変なんですよ。

D:(なにしろ)マラトaga、"僕の先生"が

会場に座っているんですから!(笑)

D:(祖国でコンサートをするのは)僕に芸術と人生を教えて下さった、とても尊敬している先生方 全員の前で"試験を受ける"みたいなものなんです。

👩:そうですよね。

 

◆◆◆

👩(このコンサートでは)観客の方々には何を用意していますか?

どうやって彼らを魅了する予定ですか?

D:新曲をたくさん用意しています。

アメリカのエージェントのBMGと契約しました。

ここのところ、BMGと密接に仕事をしています。

マドンナやビヨンセ、リアナなどに曲を書いている作曲家の曲もあります。

何曲かはこのArnauコンサートがプレミアパフォーマンスとなります。

数曲はみなさんがよくご存じの曲です。

そのほか、アジアの国々、韓国や中国の作曲家と創ったものも披露します。

それに、最近僕の為に数曲書いてくださっている、個人的にも大好きな、素晴らしい作曲家のイーゴル・クルトイ氏の曲もありますよ。

秘密をひとつ打ち明けますね。

このコンサートにはイーゴル氏が出演してくださいます。

僕と一緒にステージに立って下さるんですよ。

そんなところです。ちょっとしたニュースでした。

 

◆◆◆

👩:Dimash、アルバムの “iD” の中に “戦争と平和” という曲がありますよね。

D:はい。

👩:私達にはレフ・トルストイの “戦争と平和” という作品が有名です。

正式な訳は “戦争と平和” ではなく、“戦争と世界” (ロシア語で “平和” と “世界” が同じ音だった)ですが。

あなたが国外にいる時、祖国の団結というものはあなたにとってどれほど大切なものなのでしょう?

D:インターネットなどで(祖国の)ニュースを見ると、いつも家に帰りたくなりますね。

祖国が無事で落ち着いていて欲しいです。

国が平和であってほしいのです。

祖国の平和がカザフスタン国民の安心となることを、個人的には信じているからです。

国内外にいるカザフ人が二度と悲しい思いや試練を経験することがないように、僕は常に祈っています。

D:よろしければ、何故この “戦争と平和” を作曲したか、ご説明したいと思います。

この曲は僕が作曲したのですが、僕の提案で、歌詞は中国の方にお願いしました。

youtu.be

D:これこそ僕が全世界に大きな声で言いたかったことなんです。

世界は同等でなければなりません。

世界は平和でなければならないんです。

僕たちは自分たちの周りの人達に安らぎを与える責任があるんです。

もし僕たちが笑顔で話ができれば、仲良くコミュニケーションを取って"お互いが良いように"と願えるなら、戦争なんて起きるはずがないんです。

D:僕たちはみんな平等です。

何度も繰り返して言っていることです。

この曲を聴いてみなさんにもそれをわかってもらえるよう、これを作曲しました。

👩:今、「これを作曲した」とおっしゃいましたが、

あなたは今、ヌルスルタンの “Shabyt”(Palace of Arts)大学で、著名な作曲家のKenes Duisekeev氏のもとで作曲の勉強をしていますよね。(※2019年当時)

👩彼は “Salem Sagan Tugan Zher(我が祖国へ)” という彼の作品の中でも最も有名な曲を書きました。

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それに “Qaragym-ai” という曲も素晴らしいですよね。

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D:(“Qaragym-ai” を口ずさむ)素晴らしい!

👩:そうですね。

それに “Dombra Tualy Ballada(ドンブラのバラード)” は本当に素敵ですよね。

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👩あなたはケネス氏から何を学びましたか?

先生のどんな曲があなたのインスピレーションを掻き立てたのでしょうか?

D:ずっと願っていたんです…。

ポリフォニー(多声)、ソナタ、ソナティネ、エチュードと呼ばれるものがあります。

僕はそんなものを将来は書きたいと思っています。

それを書くにはもっとできるだけ多くの音楽的知識やスキルを磨かなければなりません。

この方面は、軽く、適当にやるわけにはいきませんから。

これは世界を形成するのと同じことです。

曲を"創造"するんです。

だからこそ、僕はケネスagaの授業を取らせて頂いています。

D:それ(彼の授業を受けられること)は、すごいご褒美を与えられたような、宝くじに当たったような気分です。

ケネスagaは"偉大な作曲家というだけでなく、非常にシンプルな方だ"ということも分かりました。

16歳か17歳の時に僕は “Zhas Kanat” というコンペティションに出場しました。

👩:勿論覚えていますよ。

D:その時、グランプリを僕に授与して下さったのがケネスagaでした。

Agaは審査員のお一人だったんです。

その時、僕達には共通のものがあることがすぐにわかりました。

 

初めて会うと、ケネスagaはちょっと怖い感じがして、なんだか圧倒されそうに見えますよね。

👩:いつもしかめっ面ですよね(笑)

D:そうなんです。

でも、教室ではとてもシンプルな方なんですよ。

僕はいつも祖父とお茶を飲んでいるような気持ちになるんです。

ケネスagaは"創造のマスター"というだけではなく、また僕たちの専攻を教授して下さっているだけでもなく、"精神面での価値を僕たち若者に与えて下さっている"ということを僕は分かっています。

 

◆◆◆

👩:Dimas、あなたはラッキーですよ。

どうしてだかわかりますか?

あなたは小さな頃から自分のやりたいことを見つけ、自分の道を見失わずにいるのですから。

自分の道を進む為には、どのような自問をすべきなのでしょうか?

D:私見ですけれど、自分の職業を選択する時には、少し振り返ってみることです。

"自分が子供の頃に夢見たものは何か"と。

"子供の頃の希望や夢というものは、決して間違わないものだ"と結論付けたいですね。

 

D:僕は、自分をものすごくラッキーな人間だと思っています。

それにはとても感謝しています。

一歩一歩、休まず一生懸命にやって来たことが、素晴らしい喜びとなっているからです。

👩:ありがとうございました、Dimash。

D:ありがとうございました。

👩:もう一度、今日は本当に感謝しています。

D:ありがとうございます。

👩:こんなに長い時間お付き合いくださって、これ以上の感謝はありません。

数多あるテレビ局の番組でこの番組のインタビューを選んでくださって本当にありがとうございました。

今回のコンサートの成功をお祈りしています。

あなたには、あなたを応援している人たちがいて、あなたの全てが上手くいくように願っていることを覚えておいてくださいね。

D:ありがとうございます。

 

↓ 公式動画 約40分35秒

Dimash | Interview - about family, concerts, show "Singer"

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2021年11月28日

TOKYO JAZZ 20thにオンライン出演したディマシュの、

日本語"行かないで"のパフォーマンスを是非ご視聴ください。

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