本記事は、2022年9月24日、アルマトイで開催されたディマシュ初のファンミーティングの模様の日本語書き起こし Part2(後編)です。
↓ Part1(前編)はこちら
dimashjapanfanclubofficial.hatenablog.com
◆2022年9月23日に開催された、約3年ぶりの母国でのソロコンサート"Stranger"の次の日、ディマシュは自身初となるファンミーティングをアルマトイ・アリーナで開催しました。
※このミーティングの公式動画は、書き起こしの末尾にあります。
以下 日本語書き起こし(長文)
ファンミーティング 2022.9.24
司会:Marat Oralgazin、Elkeblan Mirzabek
通訳:Rassul
52:21
E:みなさぁ~ん、パーティーを続けたいですか?
M:はい、今晩は 興味深いことがまだまだたくさんあるんですよ。
では、次のコーナーに参りましょう。
みなさんもご存じの通り、Dimashにはファン、ファンダムがありますよね。
ここにいる皆さんはみんなDimashのファンですよね?
みなさん Dimashの事なら何でもご存じですね?
Dimashのファンは、彼についての情報は、何でも収集しているとは思います。
Dimash本人も知らないことまでね。
でも、この会場には"みなさんよりもDimashのことを知っている方々"が来ていますよ。
まず、ご両親の Kanat agaとSveta apaをお呼びしましょう!
皆さん拍手でお迎えしましょう! どうぞお越しください!
E:Kanat aga、Sveta apa、
どうぞ どうぞ どうぞ!
M:どうぞ、お掛けください。
Dimashのご両親が来てくださいました。
もう一度拍手を!
M:少し緊張されているようですね。
みなさん、Dimashに関する情報は、い~っぱいありますよね。
SNSで見ることができますからね。
でもね、
"ご両親しか知らない秘密の、知られざるエピソード"も、あるんですよねぇ。
以前Kanat agaにお会いした時に、非常に強い印象を受けた美しいお話があったんです。
Kanat agaにお聞きしたいのですが
【Dimashが生まれた日】のことを覚えていらっしゃいますか?
K:皆さんこんにちは。
まずは私の両親に代わりまして、みなさんが今日ここにお集り下さり、Dimashに深い関心と温かい祝福を下さったことに感謝いたします。
すべてのご家族のご多幸と、お子様たちが皆さまを幸せにしてくれますことをお祈り致します。
K:そして…もちろん(Dimash誕生の)あの日のことは覚えていますよ、Maratさん。
あの頃は私も大変若かったものです。
まず、私の母に電話をしまして、この幸せな瞬間を伝えました。
母は「とても嬉しい」と言ってくれました。
K:彼女は"この喜びを ご近所のみなさんにもシェアしたい"と思ったそうです。
そうして彼女はご近所を回ったのですが、みなさんまだお仕事中で、誰も家にはいなかったのです。
それで「息子が生まれたのよ! 生まれたのよ!」と叫んだそうです。
K:私は、あの日を昨日のことのように覚えています。
5月24日は、春の温かい雨が降る、良い日でした。
私はとても喜ばしい興奮に包まれていました。
その当時、私は小さな車に乗っていたのですが…まだ携帯電話もなく、子供の写真を撮って送ることなどはできませんでした。
Svetaが病院の3階の窓からDimashを見せてくれましたが、車の中からは見えませんでしたので、屋根が凹んでしまうのも気にせずに、車の上にあがって待ちました。
少しでも息子を近くで見たかったのです。
K:彼(ベビーDimash)は、私の父/Dimashの祖父にそっくりでした。
それは、何とも表現できないほどの気持ちでしたね。
ここにいらっしゃる方々も(初めて自分の子を見た時)きっと同じ想いでしょう。
M:では、Sveta apaにお伺いしますが、病院の窓からご主人をご覧になって、いかがでしたか?
雨が降っている中、窓の外を見ると、ご主人が"あんな(嬉しそうな)眼"をして立っていたんですよね?
S:もちろん、彼の眼が喜びでいっぱいだったのは、覚えています。
S:でも、私が一番覚えているのは、父(Dimashのおじい様)が、9時の出勤前に毎日来てくれたことなんです。
そして「赤ん坊はどうだ?」と叫んで…それから仕事に行って、夕方6時に仕事帰りにも、また来てくれるんです。
S:で、
Kanat(夫)のことは…
…あんまり覚えていないですね。(笑)
(全員大爆笑)
S:その後、Dimashを連れて退院する時、親としての経験がないので、新生児を横にするなんてことを思い付きもしなかったんです。
赤ちゃんを連れて車に乗ったのですが、立たせた格好にしてしまい、まだ首が座っていない状態だったので、Dimashの首がグラグラと揺れていました。
それを見て笑ってしまいました。
K:その当時は(今のような)"退院祝い"の習慣もなかったので、看護師さんがDimashをそのまま渡してくれたんですよね。
S:私達の両親は田舎に住んでおりましたので…。
K:今みたいな交通事情ではなかったのです。
ですから、赤ん坊を引き取りには、私は友人と行きました。
私の母が村を出た時には、もう退院する時間になっていました…。
私達が母を待たずに退院したことを、母からはあとで叱られましたね。
「なぜ、私達を待たずに連れて行ったのよ」と。(笑)
K:あと、覚えているのは、私の妹NurgulとSvetaの妹のGulyimですが、彼女たちは当時17歳か18歳で、新生児を抱くのは初めてだったのです。
そして、彼女たちは赤ん坊を抱いて雨の中を走り回ったので、私はコワくなって「赤ん坊を落としちゃうよ、返しなさい!」と叫びましたよ。(笑)
でも、私自身だって、彼女達とは(子育ての)知識もそんなに変わらなかったんですけどね(笑)
K:Dimashは車の中で 私とSvetaの間に座っていました。
それが、Dimashです。
M:みなさん、これは今まで聞いたことのないエピソードでしょ?
E:このようにして、スターは、生まれたんですよ。
こうやって始まったんだね。
雨の日に、チャレンジだね。
D:芸術の道は厳しいですが、美しくもあります。
ただ、"アーティストというもの(だけ)が過大評価されている"ということは申し上げておきたいな、と思います。
D:社会には、アーティストや歌手と同様に大事な職業がたくさんあります。
例えば教師です…尊敬されるべき職業です。
それと、作物を供給して下さっている農業従事者のかたも大勢いらっしゃいますよね。
彼らも尊敬に値します。
医療従事者や鉱山労働者の大変なお仕事も、そうです。
どの職業だって、大切ですよね。
会場 拍手
M:Kanat aga、Sveta apa、
"Dimashが歌手だ"ということは、私達も知っています。
彼はステージでは優雅でエレガントですが、小さい頃はスポーツだってやっていたんですよね?
K:息子は子供の頃からずっと活発な子でした。
いろんなことに興味を持っていましたよ。
音楽とスポーツに没頭していましたね。
もしミュージシャンになっていなかったら、きっとサッカー選手か武道家になっていたんじゃないでしょうかね。
うん、良いテコンドー選手になっていたかもしれませんね。
先ほど"Dimashがとても活発だった"と申しましたが、何度も腕や足を折ったり、アザや傷を作って帰ってきましたが、とても我慢強い子でしたね。
痛みを見せずに、誰にも気づかれないように、彼は黙って自分の部屋に行っていました。
でも、みんなちゃんと気づいていましたけどね(笑)
M: 水泳は、君の肺や肺活量に良い影響があったと思います?
水泳の影響ですかね?
D:直接影響がありますね。
身体的な訓練をすれば、複雑な曲を歌う時に更に良い影響があります。
でないと、コンサートの最中に疲れてしまいますから。
だから僕たちは スポーツをすることで 自分の命を保てるんです。
子供の頃から泳いでいますし、3年か4年くらいテコンドーはやりました。
子供の頃に、やらなかったことはないんじゃないかな?
D:ドンブラ演奏や絵画をやったり、詩や執筆を学ぶクラブや、いろんな課外クラスにも参加したりしていました。
子供の頃は、何にでも興味を持っていたし、そういう風にも育てられたんでしょうね。
大体の人は一つのスポーツや芸術を選びますが、僕は"何でもやりたい"と思っていたんですね。
とても面白くてハッピーな子供時代だったと思っています。
他の子と遊んだり、喧嘩をしたりもね。
今となっては楽しかったです。
西部地区の子は知っていると思いますが、アクトべの “モスクワ” という地域で、とてもいい子供時代を過ごしました。
◆◆◆
1:0451
E:プレゼントが待っていますよ。
M:プレゼントが至る所にありますね。
みなさんも手伝って下さい。
D:ありがとうございます。ありがとう。
みなさん、本当にありがとうございます。
D:「子供たちがやりたいと思うことを阻害しない、応援してあげることだ」と言うカザフの諺があります。
僕が歩いてきた道は、すべて僕の周りの方々のお陰で、少しだけの成功ができたのは、カザフのお陰です。
D:いつだったか、ニュースで「Dimash Qudaibergenが有名になったのは、中国のお陰だ」というのをを読みました。
これに関して、僕の気持ちをお伝えしておきたいと思います。
確かに、中国で開催された コンペティションの <歌手> のお陰で、多くの方々に僕を知ってもらえました。
でも、このコンペティション以前は、僕はこのカザフスタンで教育を受けてきたのです。
ずっとカザフスタンに住み、ここで学び、育ち、歌手となり、カザフスタンのものを食べ、飲んできました。
そして、僕の両親や周りの方々のお陰で、僕は、コンペティションに出場できるレベルにまでなったのです。
D:また特に、僕に"この声"をもたらして下さった先生に、感謝を申し述べたいと思います。
それはMarat Olzhabaevich Aitimov先生です。
D:先生はKyzylorda地区のご出身で、長年アクトベにお住まいになっていらっしゃいます。
ここにいらっしゃいますか?
(立ち上がり)この場にいらっしゃいましたら、是非感謝したいのですが…。
D:また、僕が5歳の時に、アルファベットを覚えるよりも先に音符の読み方を教えて下さった Dina Niyazova先生にも、感謝をしたいと思います。
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D:そして、5歳の頃から今に至るまで、僕の一歩一歩を見守ってくれ、聡明なアドバイスとサポートをしてくれ、今日のファンミーティングも開催してくれた両親に、本当に感謝しています。
健康でいてください!
何よりも…(立ち上がる)
僕達カザフ人は、伝統を重んじようとします。
ですから僕は、僕の周りの方々と両親に、心からの感謝を伝えたいのです。
D:子供の頃から僕は
"多くの人がいるスタジアムのような場で、
父母(祖父母のこと)に感謝したい"
と、願っていたんです。
(客席のお祖父様 お祖母様に向けて)
「僕の夢をかなえて下さって、
ありがとうございます。
お辞儀致します。」
D:Apa、aga…お父さん、お母さん、立って皆さんが見えるように顔を向けて、
拍手を受けてください!
D:今年、ドバイで賞を受賞した時、母(祖母Miuaさん)と母方の祖母を連れて行きました。
そして 頂いた賞を、当時52歳で足が悪かったのに、僕が5歳の時から毎日 音楽学校に送り迎えしてくれた母(Miuaさん)に、捧げました。
これらの栄誉は、母のしてくれた無私の偉業に比べれば、ちっぽけなものなのです。
(ステージを降りてハグ&キス)
M:ブラボー!ブラボー!
◆◆◆
1:10:56
M:今夜はまだまだ続きますよ。
では、今からDimashの母君、Svetaさんの素敵な歌をお届けしましょう!
みなさん、SarmatグループとSvetaさんです!
<Sarmat>
(1:14:59 中継者の説明)
◆◆◆
1:16:13
M:はい、先ほどはDimashのご両親、Kanat agaとSveta apaにお越しいただきました。
Dimashのことをたくさんご存じでしたね。
でも、ご両親よりもDimashのことを知っている人たちがいるんですよね。
それは、Dimashの弟さんと妹さんですよね。
M:Mansur君、Raushanさん、ステージへどうぞ!
E:みなさんもっと拍手!
Dimashの弟さんと妹さんだよ!
もっと拍手!
D:Raushanはさっき「わぁ、緊張してるぅ。心臓が飛び出てきそうだわ」って言っていたんですよ。(笑)
(Raushanに向けて)僕のベイビー、緊張しなくていいからね。
E:緊張しなくていいよ。
M:緊張しているRaushanとMansurに応援をしてね!
(D:Mansurの方を向いて)
D:僕の家族で緊張なんかしたこともないのが、ここにいる人なんです。
E:(Mansurに)緊張してないの?
Mansur:そんなには。
M:昨日のコンサートでDimashは、弟 Mansurの作曲した新曲を歌いましたね。
拍手!
Mansur:昨日のコンサートにお越し下さり、ありがとうございます。
M:では、昨夜公開の"Mansurの曲について"伺いましょう。
Dimash、この曲の経緯は覚えています?
Mansurに"曲を書いて"と頼んだのですか?
それとも、Mansurが自分から書いたことを言ったのかな?
D:(弟に)話しなよ。
Mansur:9年生(中学3年)の時、よく授業の間の休憩時間に僕はピアノを弾いていたんです。
あの頃はよく音楽を聴いていました。
たくさんのミュージシャンやDJからインスパイアされていました。
なので、"作曲をしたい"って思っていたんです。
D:"デモ"について話そう。
Mansur:覚えてるよ。
家に帰って…
D:同じ方向性で…
Mansur:で、兄に見せたんです。
D:そう。弟は毎日デモをいくつか作ってましたね。
僕たちが言う"デモ"というのは、新曲の骨格みたいなものです。
その骨格が未来のヒット曲の基になるんです。
Mansurが、彼の好きなミュージシャンの作品に触発されて、一日に何曲も 曲の骨格を創っているって言ったんです。
そして、僕の為に曲を書こうと思っている、と。
それで彼の創作をいくつか見せてもらい、"(これならば)観客にお聴かせできる"と思ったのが、昨日の曲だったんです。
(会場拍手)
Mansur:この曲は、朝の4時に完成しました。
D:"朝の4時まで"ですね。
弟は僕みたいなんですよ。
僕が15歳の時もMansurと同じで…僕らの母は覚えているはずですよね?
お母さん、知っていますよね。
たとえ朝の4時でも3時でも5時でも6時でも2時でも、僕には関係ないんです。
台所に行って、最大級の声で歌っちゃうんです。
"他の家族はまだ寝てるんだ"ってことを、つい忘れちゃうんですよね。(笑)
だから、歌って家族みんなを起こしちゃうことになるんです(笑)
M:そうなんですね。すごいなぁ!
みなさん、Mansurの曲は気に入りましたか?
(会場拍手)
M:Mansur、これからも素晴らしい曲を期待しているよ。
そして、Raushan、ひとつだけ質問があるんだけど。
私達は、君がDimashとデュエットしたのを見たことがあるんだけど、将来的にまた、アート、歌う方には戻らないのかな?
E:マイクを持って。
R:兄のファンの皆さん、こんばんは。
ご質問にお答えしますね。
私の得意なところは、DimashやMansurとは違っていて、だからステージではちょっと不安になるんです。
だから…今後そんな機会があるかどうか…わからないです。
D:Raushanは医療の方に進んでいます。(会場 拍手)
さっきも言いましたが、プロンプターは必要なんです。
いろんな国でたくさんコンサートをやっていますが、僕も時には歌詞や進行を忘れちゃいます。
妹は、僕の曲の順番で歌えるんです。
D:例えば、コンサートで時々自分が何を考えてるか忘れたり、言葉に詰まったりする事があるんですけれど、妹はプロンプターとしてそれを僕に思い出させてくれたり、様々なことをアレンジしてくれます。
それで僕は予定の方向に戻ることができるんですが、それを僕の妹はやってくれています。
◆◆◆
M:みなさん、Dimashにはたくさん兄弟姉妹がいますが、生活上だけでなく、芸術の面でも、いますよね。
はい、では、ピアニストであり作曲家のNurali Beysekhoja君をステージに呼びましょう!
Dimash Qudaibergenに捧げた <Bright star of the world (世界に輝く星)> を披露してもらいましょう!
演奏後
D:おぉ~‼(感激)
E:ブラボー!大きな拍手を!わお!Nurali!
◆◆◆
D:この詩を、聞いてください。
僕たちの祖国に来て下さった機会をお借りして、みなさんに、これを聞いていただきたい。
D:「母国語が、大好きだ。
私がゆりかごに揺られている頃から聞いてきた知識
歩き始めた頃から
あなたの声は、私の耳に入って来た。
それは、母が私に語ってくれた言語。
(耳を)撫でてくれたことば。
親愛なる人よ、魂よ!
最初に聞いた同じ言語。
“母” という愛情こもったそのことばは、
私が草原で自由に演奏した曲から出てきたもの。
その言語は生命の中で最も美しいものだ。」
(会場拍手)
D:自国の言語、言語の問題について語らないのは、間違っていると思うのです。
僕たちの未来は、僕たち若者に直接関わって来ることです。
若い世代がどんな世界観を持つか、どんな文化を吸収するかは、こういった事(言語などの)へのアプローチ次第なのです。
D:いま、最も大事なのは "全ての言語に特別に敬意を持つべきだ"ということですよ、皆さん!
でも、カザフ語の価値も忘れないで下さいね!
(会場拍手)
D:他の言語も理解し、自分の母国語への敬意も持つ。
今、この言葉をあなたたちの母国語で言いたい。
他の全ての言語を尊重してください。
他の言語や他国の代表に対しての尊重を失ってはなりません。
ですが、僕たち自身の言語・母国語への尊重は、もっと大きくなるべきだと思っています。
それが課題です。
◆◆◆
1:28:55
M:みなさん、パーティーを続けましょう!
今、私達は、Dimashの素晴らしい考えを聞きました。
ではここで、Dimashの"カザフの精神"を世界に広める手助けをしてきた、兄弟のような方々を ステージにお呼びしましょう。
M:みなさん、Dimashの"人生の兄弟"達、
マエストロ Renat Gaissinさん、
M:そして、Dimashが行くところどこでもサポートして全てのDimashのコンサートのパフォーマンスを創り上げてくれている…もちろん…Dimashの友人でもあり同僚の、ErlanとOlzhasです!
M:どうぞお掛けください。
今夜の目的の一つは、Dimashをこんな人物にして、世界的有名な歌手にして、素晴らしい高みにいかせてくれた、この方々をご紹介するものでもありました。
彼らがステージに来てくれましたよ。
Rassul:あと二人を忘れていますよ。
AyatとAbylaiです。どうぞ!
M:Dimashの友人、兄弟、同僚たちです!
M:Erlan、君はDimashのサウンドプロデューサーだけども、Dimashと仕事をするのは大変なの? それとも簡単なのかな?
Erlan:みなさんこんばんは。
いいえ、Dimashとの仕事は 大変なことはありませんよ。
僕たちは最初からお互いを理解し合っていますから、
音楽的な考えは同じなので。それってすごくクールなことだと思うんです。
M:素晴らしい!
M:Dimashを"一言"で表すと、どうなるでしょう?
Abylai:"世界の子供"ですね。
Ayat:すごいですよ。
(照れて彼の肩を抱くD)
M:そして?
Olzhas:"天から授かった才能の持ち主"。(D:おぉ~)
M:いいですね。Renatは?
Renat:Dimashは"Dimash"ですよ。
M:いい言葉だ。 DimashはDimashだ!
Erlan:"寛大な心の持ち主"。
M:素晴らしい!
Renatさんの言葉がシンプルで言い得ていると思いますね。
"DimashはDimashだ"
M:では、みなさんで自撮りをしましょう。
そして、パーティーを続けましょう!
M:では今度は(会場の)みなさんと自撮り!
Rassul:皆さん、手を上げて!
D:ありがとう!ありがとう!
◆◆◆
M:この後は、サプライズが待っていますよ。
スクリーンをご覧ください。
(MV "The Story of One Sky" の監督登場)
D:どうもありがとうございます。
Alinaはロシアの素晴らしい才能を持つ方…
(英語で)彼女は、ロシアの本当にすごい才能を持った監督です。
誰も彼女よりスゴイ人はいないと思いますよ。
D:(カザフ語)カザフスタンまで来て下さって、Alinaさん、ありがとうございます。
Alinaさんと仕事ができて本当に嬉しかったです。
と同時に、"こんなに才能ある監督と同じ土俵で仕事をする"という、多大な責任も感じましたね。
その分、一生懸命やりました。
Alinaさんを歓迎しましょう!
Alina Veripiya:ありがとう!
(カザフ語だったけれど)君が何を言っているかは、感じることができたわ(笑)
D:カザフ語を学ぶ、頃合いですよ。
A:そうね。カザフ語をやる時かもね。
Dimash、私を信じてくれてありがとう!
あなたのご家族のKanatさんとSvetaさんにも本当に感謝しています。
それに、私のチームにも。
300名のスタッフが、このMVで、それぞれの専門を果たしてくれました。
A:みなさんに、これからその全てを見て頂きます。
みなさんの応援にも感謝しています。
コメントはすべて読ませていただいていますよ。
みなさんには とても気を使っていただいて。
有難うございます。
Dimash、愛してるわ。
M:Alinaさんでした。
みなさん拍手を!
では、
"Dimash Qudaibergenの新しいMV"を、
このスクリーンでご覧いただきましょう!
Rassul:(いよいよ)"この時"が来ました。このステージだけのプレミアです。
新しいMVです。
M:ご覧ください!
(<The Story of One Sky>のビデオ)
プレミア公開
D:ブラボー!Alina!
世界の平和を!
(英語)
皆さん今日は来ていただいて、本当にありがとうございました。
みんな、愛してるよ!
(カザフ語)
みなさんを愛しています!
同胞たち、祖国の皆さん、ご健康で!
"Welcome to Kazakhstan!"
完
Dimash が カザフ語と世界の皆の言語の大切さについて語り朗読した詩
— 【公式】ディマシュ ジャパン ファンクラブ (@DimashJapanFC) October 12, 2022
「自分の生まれた国の言葉が好きだ
それは 文字どおり 母の話す言葉 анам тіліだ」
27歳で亡くなった詩人 スルタン-マフムト・トレイギロフ Сұлтанмахмұт Торайғыров(1893‐1920)
1歳で母を亡くし、老祖母に育てられたといいます。
↓ 動画
QazaqstanTV公式
約1時間52分
★★★
2021年11月28日
TOKYO JAZZ 20thにオンライン出演したディマシュの、
日本語"行かないで"のパフォーマンスを是非ご視聴ください。
↓
★★★
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★★★
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